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島暮らしになった理由

来る6月で、島暮らしも3年目に突入しようとしている。丸2年。長いようで長かった。

わたしが島に来た理由は本当にひょんなことからであり、もしあの時、テレビをぼんやりと眺めていなかったら今ここにいないと思うと、奇跡みたいというか偶然というか、でもなるべくしてなった気もするというか、でも時々、もしまだ埼玉にいたらと思うとゾッとする。

色々あって、20歳くらいから22歳のはじめまでは映画館で働くフリーターをしていた。実家から自転車で10分強の行き慣れたショッピングモールにある映画館でのバイトは、人にも仕事にも恵まれて本当に楽しかった。何ヶ月かに1度は貯まったお金で1人旅にも行ったし、若いというだけでなんだか楽しかったんだと思う。映画館というちょっとした非日常空間とエンターテイメントが近くにある感じ。だから今でも映画館は特別だし、数少ないわたしのワクワクが湧き出してくる場所である。
一緒に働く人は同じフリーターや主婦もいたけれど、ほとんどが大学生で同い年が多かった。同い年というだけでなんだか一体感が生まれていて、私は大学生じゃなかったけれど、その輪に混ぜてもらって、飲みに行ったりラウンドワンに行ったりした。もちろんバイトでシフトが被ると最高だった。
楽しい日々というのは、あっという間に過ぎていき、働き出して慣れてきた頃には、同い年は順々に就活を始めだした。焦りのウェーブは私の側にもやってきていて、正社員になることが正しいみたいな風潮?常識?価値観?に私も飲み込まれて、フリーターはその名の通りフリーなので空いた時間にパソコン教室に通い、MOSの資格を取って就活をすることにした。いつまでもフリーターでいることへの恐怖もあった。女なら結婚したらいいって考えもあるけれど、その時のわたしには結婚なんて、遠い別の星のことのようで、到底じぶんには無理なことのように思えた。それもこれも、視野が狭かったのが痛手だった。
そうしてわたしも就活の波に乗るのだが、学生でもなく、何の経験もない20歳そこそこの女を雇ってくれる職場はなかなか無かった。履歴書も書き飽きて、心が折れかけていた時に見つけたのが正社員型派遣だった。わたしみたいな人が沢山いた。今思うと、10代の終わりから20代前半のわたしは、脳みその2%くらいしか使えていなかったこともあり、特にやりたいことも分からず路頭に迷い、とりあえず正社員にならなきゃというだけで、正社員型派遣の会社に入った(これが地獄の始まりであった)。

経緯は割愛するが、わたしは転職して鬱になった。2ヶ月余り無理をした後、翌年の1月から仕事に行けなくなり、4月か5月くらいまで死んだように生きていた。本当に人生の絶望期間だった。死にたくなったし、今もしょうもない後遺症があったりする。もともとそんなにない自己肯定感がさらに急降下して、地につきそうだった。
しかし、生きているとなんとかなる。
なんとかリビングまで辿り着けるようになった頃、廃人のような姿で夕飯を食べ、ソファでぼんやりしていた時にそのテレビはやっていた。ナニコレ珍百景である。都会から島に移住して、自分たちのスタイルで楽しそうに暮らしている人たちに密着していた。今となってはその映像もぼんやりとしか覚えていないのだが、そのときに紹介されていたNPOの名前をしばらく経ってからも覚えていたことで、わたしの人生は変わった。
NPOが移住促進の活動として行なっている島暮らし体験に申し込み、見知らぬ県まで数日前まで鬱だった身体で、飛行機とフェリーに乗り辿り着くことができた。ハイだったと思う。移住の先輩である方々は、飾らずありのままで、移住者の方の家に泊めてもらうというディープな体験もした。コンクリートジャングルの人の頭ばかりの生活が嘘みたいに、海と山が広がっていた。息がしやすいと思った。
ゲスト気分で楽しくワインを飲みながら語り、ハイだった心はさらに高まって、わたしはその場で移住を宣言した。上機嫌だったので、もう後には引けないようにした。どん底まで落ちたからの振り切れた行動だったのかもしれない。

そんなこんなで後の1ヶ月後には、わたしはテレビで見た島に移住していた。2〜3年はスローライフをと謳っていたが、半年後には大切な彼ができた。島暮らしに関して言えば、こんなどこの誰かも分からないよそ者に、島の方々も移住者の先輩方も本当によくしてくれた。高待遇だった。テイクばかりでギブをあまりできていないのだが、最近は島のPRに少しだけ出たりしている。『飛び込んで泳ぐ』を目標に過ごしてきた島ライフ。あと数年は続きそうだから、このnoteに日々の出来事を書き記して、移住に興味のある方の背中を押せる何かになったりしたら幸い過ぎるくらいだ。こんなやつでも何とかなってるよ〜。島暮らし、田舎暮らしってこんなだよっていうのも発信できたらなぁと思ったり。

最後になったが、わたしが島に移住した理由は、
1. このまま埼玉にいてもやりたいことがない
2. 親や実家からの自立
3. これしかない!
であった。

人間は1日に脳内で6万回思考するというのを何かで見た。6万回に到達しているかは分からないが、わたしはぐるぐるぐるぐると答えの出ないことを考えてしまったり、ネガティブモードに陥ると抜け出すまでにものすごく時間がかかったりする。それでも島に来れたのだから、今生きれているのだから、人生なんとかなるよね〜と思って生きていきたい。(難題!)

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