はじめに/私について

エッセイを書くにあたり、googleで「エッセイとは」と検索した。いちばん上に出てきたOxford languagesの定義と詳細によると、エッセイとは『自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。』であるらしい。よって「なぁんだ。小難しく考えなくとも自由に書いていいんだな」が私が下した解釈であり、iPhone12 miniの小さな画面の縦書きのアプリ内にて、ポチポチと文字を増やしている。

瀬戸内の離島に移住して六年が経った。
この土地で夫と出会い、立て続けに息子と娘が誕生した。

はじめに言いたいのは、私は全然大それた人間ではないということだ。28年の人生で何かを成し遂げた経験も長く続けた経験もないし、唯一の発表できる事柄が、23歳で飛び込んだ島暮らしくらいしかない。

埼玉のありふれたような市で生まれ育ち、23歳までを過ごした。仕事を辞めて、これからどうしようかと鬱々としていた23歳の春にたまたまテレビで特集されていた離島に飛び込み、落ち着くことができたので、行動力はあるほうだと思う。

控えめで内向的で可愛くもなかった幼少時代を振り返れば、苦い思い出のほうが多く、変に強がっていた小学時代があり、多感な時期の女子と部活の組み合わさったドロドロとした中学時代があり、少し視界が開けた高校時代があり、脳みその2パーセント程しか使えていなかったような、上辺を覗いただけで完結させてしまっていたという反省点も多い20代前半がある。

一年制の専門学校を卒業し、就職した原宿にあったエステサロンを半年と経たずに辞めた。それから、映画館でアルバイトを始めてフリーターになった。次第に仲良くしていた映画館で共に働く同い年の大学生たちが就活にあくせくするようになり、勝手に焦った私は無期雇用派遣社員というのになったが、それもすぐに辞めてしまった。これらについては、追々、整理して書き記したい。

都会の喧騒や嫌でも情報過多になってしまう空気が自分に合わず、ひょんなことから離島という田舎に来て本当に楽になった。過去の私は、生まれ育った環境とそこにあった日常が当たり前になっていて、今思えば何となく本調子じゃない自分と生きている感じだったと思う。もちろん楽しいことも沢山あったし、友情も築けたけれど、完璧に自分らしく生きていたかと問われたら頷けない。別に何をされたわけでもないのに、満員電車や人の頭を見て歩いているような空気の悪い都会の道や、ネオンやコンクリートジャングルに、勝手にどんよりしたり、不機嫌モードになることが多かった。

自分に合う環境で生きるという選択は、飛び込むまでが億劫だけれど、飛び込んで泳げる土地を見つけたのなら、自分を取り巻く世界は今より明るくなる。

当たり前だけれど大人になると仕事があり、簡単に休むことは許されずに自由の幅は減る。それでも、いいなと思った土地を見つけたら、そこに住む自分を想像するのは楽しい。実際に行ってみるのはもっと楽しい。そういった意味でも人生は長いのかもしれない。

海や山のそばで過ごすのか、最新の物に触れられる夜景の綺麗なビル街過ごすのか、自分に合った土地を知ることは生きていくうえで、もっと優先順位が高くていい気がする。自分に合った土地という考え方も、あまり浸透していなかったりするのかな?とも思うので、ここに書き記しておきたい。

発信することは、私の中で燻っている過去の恥を捨てる行為でもある。言葉にして世に出すことで、身勝手にも昇華させていただいて身軽になりたい。あとは大切にしておきたい記憶の小さな欠片を掻き集めることと、島暮らしのあれこれを綴ることが私の説明書兼存在証明書となる。

混沌とした世界で、この記事と私を見つけてくれた画面の前の皆さん、ありがとうございます。これからも、よろしくね。
 
 
 
 
 
 

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