はすみちゃん
近所に住むはすみちゃんは、お転婆娘というのを絵に描いたような活発な女の子だった。小学5年生にして、とても美人で垢抜けていて、スタイルも良く、それでいて突拍子のないことをやってのけたりするので、小学生ながらに私ははすみちゃんの友達であり、ファンでもあった。
はすみちゃんと仲良くなったのは、11歳の頃で、その頃の女子ときたら、生意気で、ちょっぴり意地悪で、女々しくもなってきているのに、はすみちゃんにはそういった部分が全くなかった。そんなことよりも、はすみちゃんという人は、好奇心と野生味に溢れていた。
例を出すならば、人の家々のブロック塀を平均台かのように、忍者ごっこと称して渡る遊びをしたり、私が風邪で学校を休んだ時には、エントランスのインターホンを鳴らすのではなく、マンションの裏から塀を登って、連絡帳を届けてくれたりする。ちょっとぶっ飛んだ美人がはすみちゃんなのである。
小学校のそばにあるダイエーの前の空き地で、子猫が産まれた。たしか子猫は数匹いて、それを見つけたはすみちゃんは、家の裏庭で飼おうと言った。裏庭は正式には隣の家とのわずかなスペースであり、はすみちゃんのお母さんが猫を飼うことを許してくれなかったための苦肉の策だった。
私たちはダイエーの2階で猫缶と蚤取りを買い(はすみちゃんは社長令嬢でひとりっ子だったので、1500円もする蚤取りを5000円札で当たり前のように買うので惚れ惚れした。)、ご自由にどうぞの段ボールもせしめた。
自転車で一度裏庭にそれらを置きに帰り、手筈を整えてから空き地に向かった。目の前にいる子猫と、これから行われることに、私は心臓が飛び出しそうなのに、たかみちゃんはくノ一のごとく子猫を一匹捕まえると、抱えて自転車に跨った。それからは夢中だった。
しかし、裏庭に帰ると子猫は呆気なく段ボールの家から飛び出して、猫缶でおびき寄せるも、缶だけを俊敏に奪い去ってどこかへ消えた。
その後、はすみちゃんはパパに懇願して、高そうな、毛の長い真っ白なチワワを買ってもらっていたが、それもすぐに逃げてしまった。
はすみちゃんとは中学校が別で、小学校を卒業して以来会うことはなかったが、地元に近い映画館でアルバイトをしていた時に、一度だけはすみちゃんを見た。カウンターを挟んで目の前にいる私に、はすみちゃんは気づいていなかったけれど、より一層美人になったはすみちゃんは彼氏とポケモンを観るらしく、一番大きなポップコーンと飲み物を買っていった(彼氏が財布を出していた)。
はすみちゃんの韓国人のお母さんが作ってくれたピーマン入りの赤いラーメンや、おやつに出てきたライチがちょっと苦手だったことや、登校してきたはすみちゃんからほのかに香るキムチの匂いを今も覚えている。