メガネに憧れる
小学校の低学年の頃、とても、いや、異様にメガネに憧れていた。メガネをかけている子たちが羨ましかったし、ショッピングモールでは、メガネ屋の前を故意に何度も通り過ぎたりした。
私のメガネへの執着にも似た憧れは筋金入りで、母と100円ショップに行った際に、青いレンズのサングラスを懇願して買ってもらい、一時期、家ではそれをかけて生活していた。サングラスをかけたまま塗り絵をして、プリンセスのドレスを紫に塗ったつもりが真っ黒でガーンなんてこともあった。
公園と駄菓子屋に並んで、100円ショップは子供の聖地だ。退屈な放課後や、休日の暇つぶしを安価に済ませることができるし、見て回るだけでも、ありとあらゆる商品というものを知ることができて、ウィンドウショッピング気分を味わえる。
私が子供の頃、小学校のそばにあるダイエーの2階にはダイソーがあった。当時の消費税は5%だから、105円で胸がときめく物たちをお小遣いをやりくりして買う。よく知らないキャラクターのペンケースやキラキラしたキャップやカラフルな消しゴム。315円を出せばクマのぬいぐるみだって買えた。
ダイソーにはメガネも沢山あった。様々な種類のサングラスから度入りのものまであって、私は度入りのメガネを発見すると、欲しくて堪らなくなった。
私が目をつけたのは、ピンクシルバーの縁の普通っぽいメガネだったが、それは老眼鏡で、まだ低学年だったが「老眼鏡」の文字は読めたので、私がそれをレジに持って行くことが、とてもおかしなことだというのは理解できた。同時に恥ずかしいとも思ったが、当時の私はどうしてもそれが欲しい。
レジには、自分の母親と歳の近い女の人が立っていて、どうしたって、お金を払ってそこを通過しなければならない。まだエンジェルブルーのポップな服で駆け回っていた私は、破裂しそうな心臓と闘いながら強行突破することしかできなかった。すぐに通過できるように、105円ぴったりを握りしめて、俯きがちに品物を出す。お願いだから何も言わないで!
事なきを得た私は、自転車のカゴの上でビニールのフィルムとレンズの右上に貼ってある度数のシールを剥がして、その日は意気揚々とメガネをかけて遊んだ。公園の桜の木の下でやったバドミントンはシャトルがぐわんぐわんして、距離感が掴めず苦戦したが、それよりもメガネをかけている私になれたことのほうが大事だった。
そんなメガネブームは、手に入れた途端に過ぎ去り、あんなに意を決して買ったメガネ(老眼鏡)はどこかへ行ってしまった。
成長過程で私の視力はどんどん落ちた。中学生のとき、カラーコンタクトという魔法に出会い、可愛さと引き換えに視力は少しずつ衰えていくようだった。今やメガネは必需品で、今1番に欲しい体の機能はマサイ族並みの視力である。