年越したそば

 実家を出てから、年越しそばをちゃんと作ったり食べた経験がないと気づいた。そもそも、私が蕎麦を食べるのなんて、年越しそばの年に一度しかなくて、気づけば蕎麦をほぼ食べない族になってしまった。

 一応は28年という長い歳月をこの日本で過ごしてきたので、できそうな風習や文化ならば、是非やりたいという心持ちでいる。むしろ、やらなければという義務感にも似ている。
 どん兵衛だろうと冷凍だろうと、蕎麦を食べて縁起を担ぎたい。今年の厄を断ち切りたい。

 三が日は島のスーパーが閉まるので、家族4人の3日分、9食分の買い溜めをしなければならず、必要以上に買い溜めてしまうのを毎年やってしまう。大晦日に食べようと先週買っておいた生協の海老天そばは、冷凍庫の奥へとどんどん押しやられていく。チンするだけでいい冷凍パスタがたくさんと、毎年この時期に貰うジップロックにたくさん詰まったお餅×3袋がかさばる。
 それでも、大晦日の夜には救出してあげるからね、忘れてないんだからね、と冷凍の年越しそばを心の中で慰める。

 大晦日は1年の最後だから365日目で、最後の日ともなると電池切れ寸前という心持ちである。
 ヤケクソに、まだ陽の明るい元気なうちに、サボっていたトイレ掃除やエアコン掃除をしたら、私のカラータイマーは赤に点滅開始である。もう年末のスペシャル番組を横になってだらだらと流し見したい。365日を1セットとして、毎年の心持ちがリセットされるようにインプットされているのだから仕方がない。

 そんな時に玄関が開いて、生協のすき焼きセットが届く。よく陽の当たる玄関で、眩しく光る発泡スチロールは、よく食べる夫だからと、別で多めに頼んだ牛肉とでずっしりと重い。「すき焼き頼んでたんだった」となる。この量はいくらフードファイター並みに食べる夫でも、すき焼きのあとには食べられないだろうし、私は絶対に食べられない。年越しそばが遠のいていく正午。

 すき焼きに関しても、めでたい日に年に一度食べられたらいいという、ほぼ食べない族のビギナーなので、家と人間が甘辛いすき焼きの香りにこんなに包まれることや、ちょっと食べたら結構お腹が一杯になることを毎年すっかり忘れて、すき焼きデーを迎えることになる。
 
 こうして、年越したそばは冷凍庫に眠り、食材が切れた日の非常食となる。年越しそばに心がなくてよかった。私がそばだったら、今頃泣いて怒って溶けてやる。






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