ヴェポラッブ


この文章を書くまで、ずっとヴェポラップだと思っていた。

幼稚園に通う前の、四歳以前の記憶がほとんどない私にあるのは、タンバリンのジングルを噛んで歯が浮いたことと、風邪を引いたときに加湿器が焚かれた湿度の高いむっとした温かさの、空気のぬるい部屋で、髪が汗ばんだ頰に張りついて、手足も嫌な感じに湿っていて、怠さで朦朧としながら、母が塗ってくれたヴェポラッブのプラスチック瓶を薄暗い部屋で眺めていたことくらいだ。

小学校に上がるまでの私は、か弱くほっそりとした子供であり度々風邪をひいた。今でも風邪をひくと、幼かった風邪を引いた自分も沸き出てきたようになって、なんとも気怠く、やる気が起きなくなってしまう。

年に数回、埼玉の実家から定期的に支援物資が届く。私はこれを実家定期便と呼んでいるのだが、中身は、子供たちの洋服やおもちゃや菓子、レトルト食品や調味料などで、毎度センス良く、実用的で助かる物がぎゅっと詰まって送られてくる。 

秋も深まってきた十一月の半ば、実家定期便が届き、その中にヴェポラッブが入っていた。幼い頃に親しんだままの、変わらぬ色合いとフォルムにときめきを覚え、しばらく眺めた後に薬箱に収めた。大人になってから、めっきり使わなくなっていた青い容器に、すっかり忘れていたくせに、恍惚とした気持ちになる。薬箱の中でも一際の存在感。

季節の変わり目は、大抵子供が体調を崩す。我が家のの子供たちも、保育園で遊んだ翌日から鼻水を垂らして発熱し、すぐに熱が下がったかと思ったら酷い咳に苛まれ、咳のせいでミルクを吐いたりした。
このまま酷い咳が続いたら、月曜日には小児科に行くしかないかと気落ちしていたのだが、薬箱に収めたヴェポラッブの存在を思い出した。寝る前に子供の胸に母がしてくれたように塗布したが、風邪の引きはじめのしぶとい咳に寝苦しそうで、その日は夜中に何度か泣いた。

離島に小児科はなく、一番近い小児科まではフェリーで一時間かけて行かなければならない。移動も合わせるとそれ以上かかるため、なるべくなら病院にはかかりたくない。

翌日、私はヴェポラッブのもっと有効的な使い方がないか検索した。そして裏技として見つけたのが、足裏に塗布して靴下を履いて寝かせると咳が止まるというものだった。ヴェポラッブの発祥地であるイギリスの民間療法らしく、足裏には血管が多いために効果が上がるとのことで、おまじないみたいでワクワク感のある小技を怪しいがやってみたいと思った。
その夜、早速、眠った息子の小さな足の裏にヴェポラッブを塗ってから靴下を履かせた。すると、その日は朝まで一度も目を覚まさずに眠ってくれて、何日か続けたら徐々に咳も治まった。民間療法、侮れない。

それからというもの、自分と子供たちが咳や鼻詰まりに悩まされたときには我が家の常備品として鎮座しているそれは取り出されている。

いいなと思ったら応援しよう!