石屋の息子
我が家は古民家で、家の前には広く庭がある。コンクリートブロックで作られた曲がりくねった通路を挟んで、右手には菜園スペースが、左手には松の木と柿の木がある。柿の木は何もせずとも毎年、美味しい甘柿をたくさん実らせてくれるので、我が家のおやつになったり、手土産や物々交換の品になる。菜園スペースは今のところ、まだ幼い子供たちの遊び場となっていて、滑り台とトランポリンを置いている。
息子が歩き出したのは9ヶ月のときだった。しゃんと立って、スタスタと歩き出したと思ったら、あっという間に走ることも習得し、家を駆け回るようになった。
間もなく2歳になろうとしている息子は、家よりもっぱら庭にいるほうが心地よいらしく、雨が降らない限り、毎日、庭を散策している。そのお陰で、真冬でも陽射しがあれば大抵は耐えられることを知った。
庭で遊ぶようになり、親心で滑り台やトランポリンにはじまり、砂場セットやボール、ビー玉にシャボン玉など、思いつくままに出してみたけれど、息子が庭で何よりも興味を示したのは、地面に転がっている石だった。あまり気にかけていなかったが、庭には無数にも思えるくらいに小石がたくさん落ちていた。カラフルな玩具には目もくれずに、バケツに石を拾い続ける。ひとつ拾っては並べて、また入れるのを繰り返して、持てない程に集まると投げ捨てるのが楽しいらしい。
「いーし、いーし、いしいしっ」
しゃがんで石を並べる息子に、お客さん役をしてみるも、見事にスルーされるか怒られるので見守る。時折、そんな姿を写真に収める。
私は、息子と適当に遊んだ後で相手にされなくなると、庭に出した椅子に座って、息子を片目に読書をしたり、英語を聞いたりしながら日向ぼっこをすることにしている。
息子と庭を歩き回っているとき、ふとしゃがんでボーッとして、自分が小人になった空想もする。なんとなく上を見上げたとき、雲一つない青空が広がっていると、心が晴れやかになるし、教科書に影おくりの話があったことも、ふと思い出す。
なんだかセンチメンタルな気持ちになったりもして、小学校の運動会や子供の頃の記憶を辿る日もある。
ほとんど毎日のように庭にいると、近所のおばあちゃん達と顔を合わせることも多く、嫌じゃない見守られている温かさを感じる。日中、まだ話せない幼子2人と過ごしていると、孤独を感じがちだけれど、そんなときにも救われる。
総じて今、この時間が好きで大切で、おばあちゃんになった時に、温かい気持ちで思い出す思い出になるように慈しんでいたい。
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