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忍ぶ者
こんにちは、水谷うーすけです。
皆さん、忍者って知ってますか??
そら知ってますよね。
そう、あの忍者です。
世界的にも有名なNINJAです。
忍者は日本の象徴的な存在として、海外でもその名が広まっていますよね。しかし、ふと考えてみると思うこと。
有名やったら、忍者としてちょっとあかんくない??
忍者。文字通り「忍ぶ者」と書きます。忍者の本質は、表には出ずに影のようにひっそりと活動し、世間にその存在を知られることなく、裏で何かを成し遂げること。そんな忍者が、もし世間に広く知られてしまったら、果たしてその「忍び」の役割は果たせているといえるのか?
例えば、忍者ハットリくん。日本ではお馴染みのキャラクターですが、これこそが典型的な「忍者の有名化」の象徴です。しかし、忍者の本質って、ああいった目立ちたがり屋ではないんですよね。忍者が明るみに出るということは、その存在が暴かれ、裏での活躍が難しくなるということです。
それならば、あえて有名になった忍者が本当に「忍者」なのか、疑問が浮かびます。忍者として暗躍するのが本分であるはずの彼らが、表に出てくること自体が、そもそも忍者らしさを失うことになるのではないかと思うのです。
では、日本で一番有名な忍者は誰か、みなさんご存知でしょうか?
おそらく、服部半蔵がその筆頭に挙げられるでしょう。「忍者ハットリくん」のモデルになった人物です。しかし、服部半蔵といえば、実は忍者としての役割を超えて、戦国時代における武将としても名を馳せた人物なんです。
二代目服部半蔵正成は、徳川家康に仕え、戦場で名将としても活躍しました。忍者という役目を持ちながら、戦場で活躍し、武将としても名を上げる。それは果たして忍者としてええのんか?という疑問があります。
忍者は影でこっそりと活動する者であり、名を挙げることは決して本望ではないはずです。それにも関わらず、服部半蔵はその影の役割を超え、世に名を馳せてしまったのです。
もしかすると、二代目服部半蔵こそが「忍者」の本来の姿を失った象徴ではないか。彼が名声を求め、戦場で力を振るったことが、忍者という存在の変質を引き起こしたのではないでしょうか。影の存在として静かに暗躍することこそ、忍者の本質だったはず。
そして、もう一つ面白い存在、「真田十勇士」の話を。
これもまた、忍者の世界における伝説的な存在ですが、実はその「勇士」という名前が少し気になりますよね。「勇士」とは、本来、勇敢で武勇に長けた人物を指しますが、何故「勇士」なのか? いや、これって、実は忍者としての暗躍の部分と全然違うんじゃね?って思うわけです。
真田十勇士って、よくよく考えてみると、「忍び」より「大名に仕える忠義の士」っぽくない?
むしろ忍者の影でこっそりという感じではなく、堂々とした戦士たちって、なんか「お前らは、忍者というより武士の方が似合うで」って感じじゃないですか?
そしてこの真田十勇士、ただの武士ではなくて、ちょっと個性が強すぎるんですよ。各々が特異な能力や個性を持ち、時には「忍者らしさ」を全開にし、時には無駄に目立ちたがる一面もあったり。例えば、猿飛佐助とか、見た目からして「忍者っぽさ」全開で、どんな作品でも彼が戦場に出ると、忍者というよりは、もう完全に武将になりきっている感じがします(創作であるとはいえ)。 結局、戦うなら、忍者としてこっそり…というわけにはいかず、どこかで「華々しく戦いたい」という気持ちが見え隠れしている。
そして、十勇士の中でも最も奇抜な存在と言えるのが霧隠才蔵。こいつ、もう「忍者」としての特技を超えて、どこからどう見ても「忍者オタクのドリームキャラクター」みたいな感じです。しっかりとした作戦を練るべきところで、時に無茶をしてしまう。お前、忍者ならもうちょっと慎重に行動せえや!ってなる逸話も多いです。
そういった個性を持つ真田十勇士たちがどんどん「英雄」化して、最終的には物語の中で何か神格化されていく様子は、まさに「忍者が名を上げてしまった結果、もう忍者じゃなくなる」…というパターンそのもの。
忍者としての本分を忘れて、どんどん目立ってしまう。そして、現代の「人気キャラクター」化してしまうあたり、まさに忍者の逆説的な存在の象徴とも言えます。
真田十勇士たちがもし「隠密行動」に徹していたら、物語自体が成立しないわけですから、仕方ない部分もあるんですけどね。こうして考えてみると、もしかしたら、忍者として名を上げた時点で、もうそれは「真の忍者」とは言えないのかもしれません。
彼らが今も語り継がれ、登場する映画や漫画では、その影響力を感じることができますが、正直言うと「影の存在」としては不完全だとも言えるわけです。忍者として影に徹しながら活躍した人々が本当の意味での「名も無き英雄」だったのかもしれませんね。