正義の「みかた」

こんにちは。
水谷うーすけです。

先日中居正広さんが引退しましたね。SNSはもうそれでもちきり。

ねー、こういう時ってあんまり何も言わないのが正解なんだろうなとと思うけど。

記事を書こうと思ったのは、どうしても書きたいことがあったのと、こういう時何も意見がない人、擁護派の人は基本的に何も言わないからこそ批判的な意見ばかり視覚化されてそれが世の中の総意とされるこの大私刑時代に少しでも僕と同じような考えの人の溜飲をさげたいなと思ったからというところ。

一先ず感想から述べると、残念ですという本音。
子供の頃からずっとずっとテレビで活躍してきたスターで、僕らの世代はダウンタウンとSMAPの作ったテレビの世界にどっぷり浸かりながら大人になってきた部分は少なからずあって。
そんなスターがなんか外野から見ればとにかくよくわからん理由で表舞台を去るのはやはり形容しがたい喪失感はある。
松本さんも中居さんも、正直テレビに齧り付かなくなった今となってもテレビの中に存在してるという感覚だけはあって、その感覚すらも失われる寂しさというのはどうしてもあるわけで。


で、ここからが僕の思っていることのお話。

どちらも性加害の事実は現状ソースとしてないにもかかわらず、何故かもうそれが事実のようになっているのが僕には理解できない。

そりゃあ、何かはあったんでしょうな。
だとしても当人同士の話で、その域を出るなら法律の話で一国民として裁かれるまでの話であることを、どうしてなんの関係性もない人間が当たり前のように正義をふりかざす権利を持っているのか。

性加害に対して敏感になりすぎている気がする昨今の日本。
僕は実際問題として性加害についての嫌悪は他の人と比べても強く感じる方ではある。これは誰がなんと言おうと、絶対。
何も知らない奴の異論は認めない。

でもその反面でやはり、僕は何か過ちを犯した人間が許されない世界もまた間違いであると思うし、その救済としての意味合いでも法律が存在していると思う。

僕は多分、身内が誰かに殺されたとしても同じことを言うと思う。
そりゃ、実際にそんなことがあったら沢山怒り狂って「犯人は絶対ぶち殺してやる!」位のことを瞬間的には言うと思うけれど、でも結局何の関係もない人に「辛かったね、可哀想だね、犯人許せないよね」なんて言われたところで何も響かないし、一緒の熱量で怒ってくれる赤の他人をありがたがることもできないと思う。

結局僕の気持ちは僕以外にわかることなんてないし、僕は僕の気持ち以外をわかることなんてないからだ。

だからきっとただただ「うるせえ一人にしてくれ」と考え込んだ末に出す結論は「許す」か「許せない」かのどちらかになるし、許せなかったからと言って僕が未来永劫そいつを許さずに憎み続けるしかないだけだ。
たとえそいつが死刑になろうが無期懲役になろうが早く出所しようがしまいが僕のこの気持ちに終わりが来ることはそいつを許せない限りは無い。

だからせめて、過ちを犯しても許されるためにやり直せるチャンスは誰にだってあるべきで、たとえ許されなくても償いの気持ちを持って真っ当な自分の人生を生きていくための道もあるべきなんだ、と思ってる。

僕は自分を傷つけた相手がその後反省して、人にやさしく自分の人生を生きていたらきっと、許せなかったとしても認めることは出来ると思う。
法律の存在意義はそういう一面もあると思ってる。

話が少しズレたように思うかもしれないけど、中居さんの話に戻せば要するにそれを許すか許さないかの話は当人が思う感情の話であって、その当人が許せないといったことを周りが粒立てて攻撃する必要性も権利も何もない。

そうは言っても、こんな所で僕のような小市民がこの問題についてあーだこーだ言ったところで何も変わらないことは火を見るよりも明らかではあるので、そこについてはほとぼりが冷めるまで静観するしかないんだろう。

けれどでも、それでもさすがに。
さすがに一言言わせてもらいたい。

要潤さんのポスト

彼を非難するのは絶対に違う。
みんな目を覚まして、なんでそんなことになるんだ。
ちゃんともう一度よく考えて。自分の中にある正義が正しいかどうかを。
この人は何もおかしいこと言ってないよ。みんながおかしいんだよ。

彼は本当に真っ当なことを言っている。
そして自分の中で思ったことを発言しただけ。
それを「悪者を庇うやつは悪者だ!!やっちまえ!!」ってさ
どう??みんなが小さい頃、こんな大人になりたくないと思ってた姿そのものじゃないのか??

こんなの、キリストの時代から揶揄され風刺されている人間の醜さじゃないのか。

それを、何故盲目的に、思考停止して描かれた絵画のように忠実にその役を買って出られるんだ。
僕は本当に恐ろしくておぞましい。
そこに群がる多くの人がこの問題にさして関係がある訳でもなく、ただ一過性の感情を持って発言しているだけで、本当は大して意見なんて無いはずなのに。

本当に要潤さんの言う通り、こんな暴力的で醜悪な同調圧力が野放しになっているこの令和社会において、法なんて一体なんの意味があるんだろうか。

人間は誰しもが大なり小なり多面性があって、誰かにとってはいい人で誰かにとってはやな人だったりする。

等しく誰にでも誰かとの時間や想いを共有したりする自由はあって、こんなもの権利なんて言うような事でもない。
だから要潤さんにとって中居さんは本当に良い先輩だったのでしょう。
そして誰でも自分により近い人の味方をする。
とても自然なこと。
それを「悪者を庇うなんて!!」となんの関係性もない人間が要さんの過ごした時間を経験を否定して攻撃すること、これはさすがに。
さすがにもう、どの角度から見ても正義にはなり得ないよ。

きっとこの人達の9割が、自分の顔が見えた途端に何も言えなくなる人達だ。
例え自分の行動が最悪な結果をもたらした場合でも、自分を正当化する人達だ。
「やった、悪を成敗してやったぞ。これは正義のおこないだ。当然のむくいだ」
「みんなやってたから…私だけが言ってた訳じゃないから……」
「自分で勝手に……僕らが原因なんてソースがどこにあるの?」

自分が加害者になる日のことを想像してもいない、自分だけが正義で、そして自分の正義が善であると盲信した愚か者だ。

僕は自分が善とも悪とも思わないし思えない。
だからこういう人達の気持ちはきっと死ぬまで分からない。

僕はいつまでも自分の正義をふりかざす時、それを疑える人間でありたいと思っている。

そんなお話。

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