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山宣祭での挨拶「原稿」です。
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日本共産党を代表し挨拶します。  
山宣、あなたは95年前、1928年2月20日投票の衆議院京都2区で当選されました。この第1回普通選挙での有権者は「満25歳以上の男性」に限られたもので女性参政権もなかった時代にです。
激しい官憲の弾圧に抗して、なぜ当選できたのか、改めて考えました。※「衆議院議員総選挙一覧 第16回(衆議院事務局編)」先行研究と若干数字が違うこともわかった。

現在の宇治市域でのあなたの得票は1160票(37%)で第一位でした。また宇治町や佐山村では実に過半の得票を獲得しました。
久世郡全体の得票率は33.4%、南桑田郡も33.4%でした
綴喜郡でも美豆(みず)村や都々城(つづき)村、三山木村、普賢寺でトップ得票。
これらの地域は、民衆があなたと一緒に小作争議などを闘った地域です。

 あなたの選挙に先立つこと7年。1921年宇治町で小作争議が起きました。
 「小作農百数十名は農事奨励を看板に実行組合を組織し」激闘の結果「年貢米2割減を勝ち取」ったのでありました。
 こうした農民運動が広がるなかで22年11月、日農の支部が綴喜郡で組織されると急速に府内に広がり、25年には府内4000名を超える組織になりました。綴喜986人、相楽660人、久世964人と、とりわけ山城地方は多くの組合員を擁したのでした。
 そして城南小作争議で歴史的大勝利をおさめました。
 「26年6月30日、1500人の組合員は美豆(みず)、佐山両村におしかけ、百数十人の警官隊と乱闘のあげく地主側の田植え強行を阻止した。」「組合側は三〇数名が検挙され、うち24名が起訴された。この弾圧にあっても農民の結束は崩れず、結局」「25年度の小作料3割3分減、以後5年間2割減。」「田は全部小作人に返すという農民側に圧倒的に有利な条件で解決をみた。(宇治市史4巻363〜364)」のでした。
 これが先駆けとなり「耕作権」確立を求める農民運動が全国に広がりました。
 さらに「普選」早期実施、議会解散請願運動が広がり、大阪で全国54団体の代表が集まった議会解散請願運動全国協議会が開催され、山宣あなたが実行委員長を務めました。
こうした民衆運動が広がる中で、山宣、あなたの勝利があったのでした。

今、あなたが闘った時代同様に、大軍拡が企まれています。野党の中でも軍拡の必要を言い出しており、翼賛政治を想起させる状況もあります。
しかし、あなたの闘った時代と違うことがあります。
この京都南部でも、戦争国家づくりを許さない、市民と共闘が確実に広がっています。
そして、日本共産党は、宇治市議会では36年間、第一党です。京都府内の地方議員の議席数は、第一党です。
あなたの宇治で議会第一党という革新の伝統を引き継ぐことが出来ています。

今年の地方選において、宇治市議7議席、久御山2議席と私の議席、合わせて宇治久世で10議席を何としても獲得し、また、京都での第1党を獲得し、あなたの伝統うけ継ぎます。平和の大攻勢をかけた、という結果報告がこの墓前で出来ますよう、お誓い申し上げ挨拶といたします。

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