JAL516便事故で、炎上する機体から脱出した話(続き)
この記事は、以下の続きである。自分向けの記録の意味も含めて書き記すものです。
手荷物は全損です
事故の翌日、JALからの電話で起こされた。スマホには見慣れないフリーダイヤルの番号。事故のトラウマで眠れない、といったことは全くなく、ぐっすり眠っていた。明確な時間は覚えていないけれど、午前10時半くらい。電話に出ると、ものすごく腰の低い口調の男性職員だった。いや、女性だったかも。寝ぼけていて記憶が曖昧。
まずは、事故が起きたことに対する丁寧なお詫びを受けた。あと体調の心配と。その上で、事故に関する専用窓口を開設した旨の説明があった。何かあればこの番号に連絡をしてほしい、こちらからのコンタクトもこの番号からする、とのこと。
それと、補償金(賠償金?)に関する話もあった。「誠に申し訳ありませんが、手荷物は全損ということになりました」ということで、事故と手荷物それぞれ10万円ずつ、合計で20万円の支払いがなされるというではないか。内心、とても驚いた。昨日の今日でもうそんな判断したんだ。まだ半日くらいしか経ってないのに。私が思っている以上に大きい事故っぽいし、補償の対応なんてもっとずっと先だと思っていた。“沈まぬ太陽”という言葉が脳裏を掠める。
私は内心、仕事で使っていたPCを焼失してしまったことにかなり凹んでいた。買い直しかー。出費痛てー。JAL、PC代だけでもくれないかなー。と考えていたので、20万円もらえたらギリセーフだ。「具体的な対応は改めてご連絡いたします」と言われたので、「助かります」と答えて電話を切った。
余談だが、この一連の流れをXで独り言気分でポストしたら、そこそこバズってしまった。それはまぁいいとして、「#JALは日本の誇り」「#ありがとうJAL」とかいうハッシュタグができていたのは、正直意味不明である。対応が早いのは素晴らしいけれど、ありがとうJALってどういうこと。それと、「20万円じゃ足りない」「全額補償するべき」的なリプも大量に来た。金の問題だろうか、という気持ちもあり、しれっとミュートする。何より謎だったのは、800人くらいフォロワーが増えたこと。彼らは私に何を期待したんだろう。
手荷物リストを書いて送る
数日後、再びJALから連絡があり、「補償金の支払いにあたり、書類を送るので確認してください」と言われる。そして間髪入れず、手荷物の内容を明記する用紙と、振込先を記入する用紙が封書で届いた。事故当日の手荷物について、全てをリストアップして返送してほしいとのこと。私は内容を確認したうえで、真っ先に「MacBook」と書いた。必死である。
あの日私は、旅行でも観光でもなく、毎年恒例の単なる正月帰省の帰りだった。友人に会う約束もなければ、特に出かける用事もない。ただ家族に会うことが目的だったから、正直これといった荷物は持参していなかった。トランクの中身は、PC・数日分の着替え・ブーツ・メイクセット・常備薬くらい。あとは、コートと新千歳空港で購入したお土産。PCを除けば、最大の心残りは自分用に購入したかま栄のかまぼこだった。この世で一番美味しいかまぼこだから。
なので、かま栄も含めてリストに書いた。それらを持参していたと証明するものは何もない。でもまぁ、書けというなら書くよね。あと、リストにはそれぞれの金額を記入する欄があったが、正直、それがいくらかなんて覚えていない。それこそMacBook以外。それでも、レシートやなんやを掘り起こしてわかるものは記入した。
総額でいえば補償額の上限は超えていたけれど、特別高額なモノも失くして痛いモノもなかったので、割と早々に諦めはついた。あの日、滑走路でモンクレールやヴィトンのバッグが燃えたと言っていた人たちに比べれば、私なんて微々たる損失だろう。他にも、お金に変えられない思い出の品を失くしたした人もいただろうし、家族全員分の荷物が燃えた人も当然いたはずだ。思い起こせば、お気に入りのおもちゃが燃えてしまったと滑走路でギャン泣きしていた子どもがいたっけ。辛いよな。
私など、20万円もらえればPCは買い替えることができるから、もうそれでいいやと思った。貴重品も全て身につけていたのが心の余裕になっている。スマホや財布が燃えていたら、きっとこんなに落ち着いてはいなかっただろうけれど。思いつく限りの手荷物をリストアップして、用紙を返送する。振込は何ヶ月先になるのやら、と思いながら。
JAL、まさかの全額補償
JALから補償金の振り込みがあったのは、1月16日。事故発生からわずか2週間後だった。ざっくり3ヶ月〜半年は掛かると思っていたのに、早いこと。しかも、金額を見て驚いたのは、リストで申請した金額まるっと振り込まれていたこと。詳しい金額はあえて書かないけれど、まぁ20万円よりは当然上。ありがたすぎる。
なんの証明もできない自己申告の金額を、まさか全額補償してくれるとは思わなかった。だったらリスト(の金額)盛ればよかった……と思わなかったといえば嘘になるけど、想定以上の額を支払っていただけただけで十分というものである。
その後、しばらくしてJALから入金の連絡が来た。そして、「受領書的なものを送るので返送してください。他に何もなければ、一旦これで今回の件は対応完了となります」とのこと。言われた通り数日後、封書で受領書的なものが届いたので速やかに返送。これをもって私の中では一区切りついた、という感じ。
一連のJALの対応には1ミリも不快に思う瞬間がなく、滞りない速やかな対応にとても驚いた。ここまでで大体2ヶ月弱くらいだろうか。こんなに早いもんなのか、飛行機事故の対応って。改めて感心する。これを書いている3月末現在、あの日のことはすでに過去の記憶になりつつある。本当にもう、びっくりするほど日常だ。この投稿を書かなければ、自分自身でも忘れてしまいそうなほどである。
国土交通省の調査に協力
そういえば、2月上旬に国土交通省の運輸安全委員会から封書が届いた。「JAL516便事故に関する調査協力のお願い」だという。私が想定以上の補償金を受け取って喜んでいる頃、しかるべき機関ではしかるべき調査を進めてくれていたらしい。そりゃそうか。飛行機事故なんて、起きてはならないものだもんね。お亡くなりになった方もいるわけだし。
とはいえ、2月上旬といえば、事故について散々語られ尽くした頃。これ以上新たな証言なんて出てこないですよね、というほど、関係者の証言やら動画やらがあっちこっちで出まくった後だった。私しか知らない新情報があるはずもなく、さてどうしたもんか、と少し返事を放置していたすいません。
とはいえ、結局のところ調査には協力した。同封されていた書類にメールを送ったら、後日担当者から電話が来たので、思い出せる限りの記憶を辿ってこと細かく説明する。座席の位置、脱出までの経緯、何を見たか、どう動いたか、何を感じたか……。幸い私は、事故によるトラウマもフラッシュバックもないので、振り返り作業は特に苦ではなかった。でも、担当者の方は「体調が悪くなったら遠慮なく言ってくださいね!」と。中にはきっと、そんな人もいるんだろう。座席の位置が変われば見ていた景色は違うはず。私なんかよりも、よほど怖い思いをされた方がいて当然である。
いろいろと話した後に、「目新しいエピソードがなくて、なんかすいません」と言ったら、「一人でも多くの方からお話を伺うことが大事ですので」と返された。こういう調査結果って、いつかどこかでオープンにされるものなのかな。何にしろ、私の証言が今回の事故が起きた原因を究明する一助になれば幸いである。
終わりに
死んでもおかしくなかった飛行機事故から生還して、改めて思ったことがある。それは、死んだら「死んだよ」って言えないんだ、ということ。あの日私はたった一人でJAL516便に乗っていて、そのことを知っていたのは姉だけ。もしもあのとき死んでいたら、姉以外誰が私の死に気づいてくれるというの。家族も、友人も、仕事の関係者も、みんな知らないまま私は死んでいる。もちろん、近しい人には何かしらのかたちでは伝わるだろう。でも、それ以外の人には?
できることなら、大切な人たちには自分の口から「私、死んだんだよね」と伝えたい。いや当然無理だけど。わかってるけど。でも死んだら何も言えないんだよ。本当に何も。生きているから「生きているよ」って言えるけど、死んだら「死んだよ」とは言えないん。なんてことだ。
事故から1週間後、大学時代からの友人に電話をした。JAL516便に搭乗していたことを話すと、めちゃくちゃ驚いていた。私は「死んだら死んだって言えないから、生きてるうちに生きてるって伝えておくね。私は生きているよ」と言った。友人は静岡から東京まで会いに来てくれた。
0.0009%の確率で飛行機事故に遭ったけど、そのこと自体は身体にも心にも一切傷を負うことなく、私の中では過去になった。今の生活にも何ら影響も及ぼしていない。ただ、あの日以来、自分が死んだときにどうやって大切な人たちに伝えよう、とは考え続けている。とりあえず夢枕に立つ的なことはしたい。