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近づいて、また離れる。

コロナ禍と呼ばれたこの3年半ほどが、終わったことになってしばらく経つ。
コロナ禍で滞ったもの。人との交流、そもそもの物理的な動き、きっとたくさんあるんだろう。

在宅勤務が減って、オンラインミーティングが出張しての会議になって、私の周りも物理的な動きがコロナ前のようになっている。

心理的な動きも変わるようで、
「出張したら、対面のミーティングに出たら、新しい出会いがあった」
なんて話もちょいちょい聞くようになった。

割と多くの人が、コロナ禍を停滞していた期間と感じているのだと、最近よく感じるようになった。

その極め付けが、先日の落合陽一さんのツイートだった。

あぁ、この感覚のことを私の周りの人も言ってたのか…と。

あぁ、また、遠くなっていくのかと。


これは非常に主観的な自分勝手な思考であるが、私にとってコロナ禍の3年半は、難病持ちの自分と、病気なく暮らす多くの人達が、少し近くなったように感じる期間だった。

多くの人が未知のウイルスを恐れ、
「明日も今日のように元気ではないかもしれない」
と一度は頭によぎったんじゃないか。

未知のものに不安を覚える、しかもそれが毎日続く、治療法がなく原因も不明。
まるで、難病患者の私と同じだ。

そのせいなのかわからないけど、私にとってこと3年半は生きやすかった。
不安は大きかったし、最初の頃は「絶対かからないでね」と持病のお医者さんに言われて困惑したりもしたけれど。
感染対策をしてる人がとても多くて、免疫力が低い私には生きやすかった。
在宅勤務できるようになったり、オンラインコミュニティでの新しいつながりができたり。ワクワクすることもたくさんあった。

どちらかというと、コロナ禍に持病の数値が悪化して薬が増え、コロナ真っ只中に免疫抑制剤を飲み始めたことの方が怖かった。
幸い薬で病気はコントロール出来ているけれど、
「明日も今日のように元気かはわからない」
という思いは、26歳に病気を知ったあの日からずっとずっと死ぬまでここにある。

コロナ禍は、なんだか少し世の中がこちら側に近い怯えや不安を感じていた気がする。
その中で生きていくことをみんながそれぞれのやり方やペースでやっていた。
生きていることを、少し濃く感じる時間があったんじゃないかなと思う。


最近、周りがグッと動き出した。
オンラインコミュニティはリアルコミュニティになりつつあるし、在宅勤務は減って、人と会う機会が増えてきた。

私の免疫力は変わらなくて、難病はいなくなることもなくここにある。
理解されない悲しみはずっとずっと死ぬまであるだろうし、理解されなくて良いという諦めも共にある。
そんな思いをする人は少なくていいと思う。
だから、周りが変わっていく、また遠くなっていくことを、それでいいのだと見送る気持ちはある。たしかに。

たしかにあるから、あなたは動いて。どんどん、あなたのペースで、やりたいように。

あぁ、遠くなっていく。
そう見送りながら、私もわたしのペースでやっていく。
オンラインコミュニティのあなたに会いたいし、一緒に働いてきたあなたに会いたいし、ずっと会えていないあなたにも会いたい。

そしてやっぱり私は、あなたがこの数年間で少なからず感じた「自分の体調」のことを引き続き気にかけて欲しいから、ヘルスケアに関する仕事をしたい。

私のような思いをする人は少なくていい。
ある日突然ゲリラ雷雨のように襲ってくる心身の変化は防げなかったりするけれど、ちょっと気にかけておくだけで早く気がつけるかもしれない。
この数年、そんな経験した人少なくないだろうな。

あぁ夜だな。
元気な朝を迎えられるといい。


今日もまたこの曲を聴いてる。

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