お気に入りの金色のサンダル
私が自分で選んで買った服を着るようになれたのは、高校生になってからだ。それまではスポンサー(親)が一緒で、中学生らしい服装というコンセプトにのっとった服しか了承してもらえなかった。予算を設定し企画を出して資金を出してもらって、保護者なしで買いに行けるようになるには、我が家ではプレゼン能力が必要だった。
ある日、急にひらめく。
ブルー系マドラスチェックのミニスカートがはきたいな。セーラーカラーの白いTシャツを合わせよう。靴は白のデッキシューズ、濃紺の持ち手のトートバッグを持って出かけよう。
予算はそんなにないし、思ったような品は、大抵お店にはない。行きつけのお店をいくつも回って妥協することもあったし、古着屋でぴったりのものを探し出せたこともあった。時には服を自作したり、改造した。
不思議なのだが、いつも急に「こういう格好をしたい、するべきだ」と天啓のようにそれは降りてくる。最近見た雑誌に感化されることもあったし、観た映画に刺激を受けることもあった。でも、だいたいは何の脈絡もない。急にワンピースが欲しくなったり、アロハシャツが着たくなったり、あの頃は本当に自由だった。就職先もかなり自由だったので、私の服装人生の大半は自由を楽しんできた。
それが変わったのは、私の場合は子供を産んでからだ。
好きな格好よりも、周囲から浮かない色味、デザイン、素材を選ぶ。カメレオンのようにミノムシのように…私は人当たりの良い母親に擬態した。ほとんどのママはジーンズ、パーカー、ユニクロ、スポーツシューズだ。まぁどちらにしろ、子供にくっついて公園やスーパーに買い物に行くくらいなので、困りはしない。むしろ楽。
でも、つまらない。
何か刺激が欲しいな。
そうは思っていても、ファッションでそれをやる気にはなれない。嫌われたりつまはじきにされるリスクが高いから。実際に「あの人の服っていつも変。そばに寄りたくない」などという輩もいるのだ。せめてバッグくらいは好きなものにさせてくれーーそんな高いものじゃないから。そう、これがブランドバッグだったりするとまた「お高くとまってる」などと悪口対象になりやすい。本当に女は面倒臭い。でも子供のつきあいと言う名のしばりで監視しあってるから、抜け出せないのだ。
好きな服を何も考えずに着れたのはいつだったか。
やだなーーー気づいたら年齢に合わせた服しか似合わなくなっちゃってた、なんて最悪だなあ。でも多分、もうそうなってる。
女のアイデンティティはファッションに大半が偏ってる。
でも、それで業界住み分けもなされてるので仕方ない面もある。
ああ、せめて着心地の良い服を着たいな。寒くて冷えたり、痒くなったりせず快適に暮らせる服。でも、それって全然オシャレじゃないね…とクローゼットを片付けながら一人ごと。ときめく訳もないわね。
着れない着られない服に混じって、靴の箱が出てきた。
中身は金色のサンダルだった。
出産前、一目見て気に入ったのだけど、微妙にストラップが食い込んで痛くて、長い間は履けないのよね。高かったのに〜って捨てられず、2回くらい結婚式に履いていったかな。もう履く機会もないかなぁ。キラキラ輝くヒールの形と足の甲を覆うストラップのデザインが、まるで美術品のように綺麗だ。
捨てる理由もさしてはないし。お気に入りなのだから、とクローゼットにしまい込む。
うーん。そんなものばかりしまってあるような気がしてきた。なんとか有効活用できないものだろうか。本当は、真冬でも真夏でもオールシーズン活用の喪服とか、入学式卒業式に最適着まわしのスーツとか、買わなくちゃいけないのでは…
大人になるっていやねーーー年取るってやだねーーー
とりあえずエアでは、自由に金色のサンダルとミニスカートを履いてみる。
リアルの新しい服に関しては保留中。擬態を続けながら、脱皮の機会を伺っている。