見出し画像

死と悲しみの記憶

1、 戦争と平和についての、私の認識の発展について

小学生のころ、児童館で「はだしのゲン」を読み、原爆の凄まじさや幸せな家庭を一瞬にしてどん底に突き落とす戦争の惨さを知った。その問題意識はずっと続き、中学三年の社会の授業で「憲法9条に戦力不保持とあるのに、なぜ自衛隊が存在するのか」と疑問を先生にぶつけていた。中学を卒業する時、二年間担任だった女の先生から、本を頂いた。なぜ僕にだけ?と、嬉しさと共に戸惑いをもった。それは「生きることの意味」という本で、そこには在日朝鮮人として生きた著者の半生が描かれていた。15歳の私は、この時初めて、加害者としてのこの国の姿を知り、植民地にされた側からこの国を見つめた。同時に、先生の、私への、いや私だけではなくこの国に生きるすべての若者への願いを痛いほどに感じた。先生は体にケロイドの痕を持つ広島の被爆者だった。
この体験が私を大きく変えた。高校、大学を通じ、自分にとっての勉強とは、与えられた知識を詰め込む事ではなく、自分から知るべきことを知る事だと考えるようになった。「三光」「悪魔の飽食」「従軍慰安婦」「朝鮮人強制連行の記録」などを読み、アジアの民衆への加害の事実に驚愕した。

2,忘れられない光景~戦争は絶対に認めないと訴える生徒たちの感性

 高校の社会科講師になっても同じ視点に立ち、教科書をこえて、1人の人間として伝えるべきことを伝えなければならないという思いから、過去のこの国の戦争の事実をできるだけリアルに伝える授業に取り組んだ。勉強嫌いな子も、いや、そういう生徒達こそ、食い入るように、真剣に話を聞き学んでいた。そして「初めて社会の勉強の大切さがわかった」などと伝えてくれた。
 今でも忘れられないのは、外務省の役人が来校して全校生徒を集めて行なった高校生講座での出来事。当時イラク戦争真っ只中にあり、役人は、独裁者を倒し民主化する為に必要な戦争だと語った。その頃私は、イラクの民衆=殺される側から見た実際の戦争の姿を、映像や報道から教材化して、生徒たちと共に学んでいた。その中の一人の女子生徒が生徒会長をしており、生徒代表として挨拶を求められた。彼女は、落ち着いた態度で「戦争で罪のない人がたくさん殺されています。どんな戦争も私はやってはならないと思います。」と堂々と意見をのべ、戦争に反対する級友の声を次々と紹介した。外務省の役人は慌てふためいて言い訳をしていた。そんな経験もあって、私は青年たちの人間的な感性への信頼を揺るがぬものとしていった。

3,生きている人と亡くなった人とをつなぐコトバ

 アジア太平洋戦争で奪われた無数の命。膨大な数の人々の無念と死と、残された人々の悲しみの記憶が、80年も続く平和の時代を産みだしてくれたのだと思う。私が生きた平和な時代は、そうしてそこにあった。
    生きている人と亡くなった人とをつなぐコトバがある。何年たっても存在するコトバ。決して失ってはいけないコトバがある。
改憲は、無数の死者と生者の記憶への冒瀆に他ならないと思う。


いいなと思ったら応援しよう!