自分史2
小学3年生の頃、私はもともとすごくマイペースで、怠け者な部分もあって、自分で少しずつ自分自身と向き合って頑張れる自分になれるように調節していくしかないと気づきました。
だけど母のもとにいる限り無理なのだ、と悟った瞬間というのがあって、それは同じ小学3年生の時、両親が離婚するしないで揉めている気配を感じていた時、もし父に自分がついていったとして、昼間の母がいないリビングを想像しただけで「天国!」と感じてしまって、(と同時に罪悪感も湧き上がっていました)でもそのあとにどうやら離婚はしなさそうだとわかって、ああ自分はここで耐えて生きていくしかないんだ、と絶望していました。
自分としっかり向き合えないまま、日常の求められることや自分の苦手なこと、自分の意思と反することばかりをどうにかこなしていくことで精一杯で、中学受験を心を無にしてなんとかやりきって、思春期に突入したら、気がつくとものすごく精神的に不安定になっていました。
さらに母からは否定されることも増えて、不眠や日常的に追い詰めれられる感じはなくならず、
中学3年生の時に、病院へ行きたいと両親に言いました。
入院したいとも伝えました。無意識に母親とはなれたかったんだと思います。
精神科へ入院することはしないほうがいい、精神科の治療が危ないこともあるから、と父が猛反対して、病院だったら100歩譲っていいよ、ということだったので、精神科の病院に行くことにしました。
病院に行って病人になれば、母の監視が緩むかもしれない、本当はもうそんな希望も叶わない気もしていたけれど、とにかく日常の辛さから逃げたくて、精神科の薬を飲み始めました。
母は普通の母親だと思います。遊びに来る友達みんな「優しそうなお母さんだね」と言います。例えば私に命の危険が迫れば全力で助けてくれる人です。ただ、母はとても不器用でこだわりが強すぎました。
当時私は自分の部屋にいる間、常にいつ母が部屋にやって来るか気にしていました。部屋に来て母が私の姿を見て気に食わなかったら、怒られる。
母の足音がすると、必ず自分の状態を確認して、いつもヒヤヒヤしていたのだなと今は思うけど、当時はそれが普通の日常でした。
怒られることを全力で避けたくて、気を抜くことができなくなり、不眠になったのだと今はわかったけれど、当時は全然確信を持てませんでした。みんな同じようなものだと思っていましたから。
続きます。