自分史3(学校を卒業してもうまく生きられない)
私が中学校から高校生の頃に話を戻します。
学校へ行けば、一日中友達に気を遣い、黒板を見るにも視線が気になったり、先生にあてられて答えるにも声がひっくり返らないかとか怖がり、電車の中も緊張して、
家に帰れば親に気を遣い、気が休まる暇がなく、ぐっすり眠ることも叶わず、
明日が来ることが苦痛で、絶望で、どこかへ逃げ出したくて、でも何処へも行けず、
そんな日々を繰り返していました。
薬を飲むと、学校で疲れにくくなったように思ったものの、
なぜか不眠や対人恐怖には効果がなく、
強い薬に変わっても、入眠しようとすると覚醒する感じや、他人や外の世界への恐怖の感覚は体の中から消えていってはくれませんでした。
薬を飲むと頭はぼーっとするので、神経過敏さは収まる感じもあるのですが、
恐怖の感覚は確固として胸の奥にあって、心から休息することを24時間、決して許してくれない感じでした。
薬じゃ治らないんだと気がついても、私には現状を変える方法がもう思いつかなくて、薬をやめることはしませんでした。
母に逆らえないので、しがみつくようにして学校へ行き、授業日数ギリギリでどうにか卒業させてもらえて、ギリギリ短大に合格して、進学しました。
薬はどんどん増えていき、朝はとてもだるく、起き上がることが難しくなっていました。
短大は終始ふらふらで、ギリギリ単位はもらえましたが何も頭に入ってきませんでした。
文章が頭に入ってこなくて、パソコンの授業はひとつひとつの動作が覚えられなくて、(覚えられる気がしない、という感覚も)
何も身につけることができませんでした。
私の頭の中は「もう休ませてほしい」しかありませんでした。
明日学校へ行かなければならないとか、明日の朝、起きあがらなければいけないとか、勉強してなければいけないとか、人と会わなければいけないとか、
全部、半年とか一年とか、自由になって思いっきり羽を伸ばして安心して休みたい、もう頑張れないと思っていました。
自由の身になれば、好転することもあるんじゃないのか、ともうっすら感じていました。
でもそんなことは叶わないということもわかっていたので、短大卒業後を考え出すのですが、
その頃あたりから、私は歌手になることにものすごく憧れていたので、この夢を追いかけたい、叶わなくても目指すという経験を人生でしておきたいなと思い始めました。
母の希望で大学へ編入しましたが、ある人に「薬が原因ですよ」とふと言われて、ここで一旦薬を自分で減らします。
全て無くしたかったのですが、減らしただけで苦しくなる薬があったので3種類残りましたが、半分以下になりました。
頭がはっきりしてきて、薬を飲んでいたから頭の中が支離滅裂になっていたんだと気がつきました。
その間、学校は休学していましたが、(母は薬を減らすためならばと納得してくれていた)
はっきりした頭で、ますます夢を追いかけたくなって、大学を辞めようと決意して、勝手に退学届を出したりしました。
母からはかなり冷たくされましたが、なぜかそれでもやろうと思えたのでした。
大学から逃げたいという気持ちからではなく、今しかできないことを精一杯頑張ってみたいという前向きな気持ちでいっぱいでした。
音楽塾みたいなところに入ったりしましたが、なかなか上達できず、アルバイトも週に3日〜4日が限界です。
今思うと、「周りは働いていたり学校に行っているのに私は何をやっているのだろう」とかもっと感じてもいいような気がするのに、当時はどこか地に足がついていなくて、滅多に会わない友達には週5日働いている風にしたりして、あまり深く考えていませんでした。
ものすごい対人恐怖の中でアルバイトしていて必死だし、コミュニケーションがそもそも枯渇していたので、冷静に周りから見た自分の立ち位置がわからないというか、とても認知が歪んでいた気がします。
ただ、ものすごく頑張ってはいました。周りから見たら、自分で決めた1日の行動がものすごく生産性のないものでしたが、とにかく今はこれをやるんだと心に誓ってやっていました。
母から冷たくされることも、最初のうちは堪えていました。
親に対して寂しいって感じたりする気持ち、今はもう思い出せないんですが、当時はまだまだとてもありました。
意を決してアルバイト先を決めて、そこで忘れることのできない出会いがありました。
アルバイト先で出会った社員さんが、私と共通の趣味があって、仲良くしてもらえ、その人が私の深い悩みを聞いてくれるようになりました。