俺は天才じゃない。

俺は天才でも努力家でもなんでもなくって、ただただ出来る限り一生懸命生きるだけ。
そして、やりたいコトが沢山あって、動かずにはいられない性なだけ。

私は褒められたくて仕方がないので、これを天才と言ってくれる人の言葉は甘んじて受け入れる気ではいるけれど、最近思うのは、天才だったら今きっと俺はこんなに幸せじゃない。
天才だったら最初からなんでもできてしまうから。

今の俺は、たくさんの仲間だったり、ありがたい環境だったり、そして後押ししてくれる時代に支えられて、やりたいことができていて、そのやりたいことにイチイチもがいて苦労して、嫌になって、それでもなんとか乗り越えて、ゲラゲラ笑ってるから感慨もひとしおなのだ。

このプロセスがなければきっとすぐに飽きてるし、すぐに他の娯楽(映画とかゲームとか漫画とか)と「やりたいこと」の優先順位入れ替わる。

「やりたいこと」が優先順位トップにいてくれるのは、間違いなく伸び率を楽しめるから。
「甲斐」を味わえるから。

そして、そこには沢山の感謝が生まれているから。

天才だったら、感謝に気づくことが難しい。

あと、ただただ一生懸命やることを「努力」って呼ぶ人もいるけれど、僕の中での「努力」はどちらかというと、「しんどいながらも頑張るから見返りをちょーだい」ってな定義だ。

「努力」をしてしまうと無意識にでもどうしても見返りが欲しくなってしまう。
それは努力自体が楽なものではないからだ。

その点、俺がやってることは、見返りなんて一切いらない。だって、自分が好きでやってんだもん。まったく辛くないから、能動的に進んでいく。楽とか苦とかいう概念がまったくない。ただただ夢中なだけ。
そんなものを努力と呼んではいけない。

天才ということに誇りをもつより、努力という行為に縋るより、やってることに自信を持った方が絶対に幸せになれる。

誰だって天才で、誰だって努力家になれる。
ならば、そんなレベルで競わないで、もう一個上のステージに行った方が良い。

昨日を、これまでを、なかったことにしないで。
明日を、未来を、しっかりと見つめて。
それらを、今と照らし合わせて、そこで充実感があれば、それこそが幸せ。

天才や努力という領域だと、この幸せはなかなか感じられないと思うのです。




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