正義感があるのは
わたしには「言及欲」がある、と思う。
「言及欲」とは、『正反対な君と僕』(阿賀沢紅茶、集英社)に出てくる平くんのことば。とても的確な表現だなと感じたので、20話を読んで以来、使わせてもらっている。
平くんはあのとき、東ちゃん(クラスメイト女子)が、元彼たちから蔑ろにされていることに対して「(そいつら)人のことナメすぎだろ! 雑に扱われてんだからちゃんと怒れよ! 東だけがすり減ってんじゃん…」と彼女のために怒った。
で、次の日に「第三者なのにごめん」と謝っていた。「悪質さに気づいてる自分を我慢できない悪質さというか…言及欲が出てたというか……」と。
TBS『あざとくて何が悪いの?』というテレビ番組内では、何度かミニドラマが放送されている。前作の主人公の一人は、正義感の強い夏希。飲み会でセクハラ発言をする男性先輩に注意するタイプで、後日裏で後輩女子に「ジャスティス、うざいよね〜」とあだ名付きで陰口を叩かれていた。
これを観た弘中アナウンサーは「私もこういうこと(陰口)言ってたタイプだから〜」「ジャスティス来るんじゃない?」なんてコメントをしていた。
わたしも、夏希のように悪いことには悪いと言いたいし、悪かったことや人、原因をはっきりさせたいタイプだ。平くんと同じく、言わずにはいられない言及欲があるんだと思う。だけどそれって、「ジャスティス」と陰口を叩かれるような行為なんだよな、と最近ちょっとだけ悩んでいる。
もちろん、正義感の強い人を「うざい」「だるい」「堅すぎ」って笑ったり、嫌悪したりする気持ちもよく分かる。
それに、正義って強すぎることばで、怖さをはらんでいることも分かっているつもり。だって、法の下に人殺しを許す海軍と、誰の息の根も止めない無法者のルフィたちとどっちが正義かなんて、いつでもひっくり返るものだから。正義も正解も、人によって超違って、無限にあるものだ。だから簡単に線を引いてしまっては危険かもしれない。
それでも、やっぱり。
悪いことをしているほうが上手くいくとか、悪いことをしている人が気持ちよく過ごせるとかって「なんかおかしくない?」と思ってしまう。
ちゃんと頑張ってる人は笑われるんじゃなくて「頑張ってるね」って賞賛されてほしいし、たくさん良いことしてる人には良いことが起こってほしいと思う。
こんなふうに考えるのも、「キレイごと」とか「ジャスティスww」って笑われるようなことなのか、と思うと悲しいけれど。それでも、今の自分はこう考えるということを残しておこうかなと思った。
ただし、自分が清廉潔白かと問われれば絶対に違って、人を笑ったことも悪さを流したこともたくさんあるし、見下したり陰口を叩いたりしていると思う。それを自覚しておきながら、狭い正義感を振りかざすのは、たしかにダサいよなあ、と反省したり。
そうやってぐるぐる悩んでいた矢先、大谷翔平選手のインタビューを見つけた。
己の正義を掲げられる、だけど押し付けない姿勢がすごいなと思った。スターすぎる。
はたしてこれは大谷さんだから言えることなのか、勇気の問題か。
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5月の頭に書いたのですが、勢いを失い、下書きに……。
また良いものを見たので、それをきっかけに投稿してみます。