できないこと
できないことが多い。
分からないことも、苦手なこともたくさんある。
掃除も料理も苦手だし、歌も下手。人と仲良くなるのも下手だし、いろんな人とつき合うのも、嘘をついたりすることも苦手だ。仕事で言えば、取材はいつまでも緊張するし、原稿を書いていても「書けない」「できない」と思うことばかり。メンタルを安定させることも、暴飲暴食しないことも、明るく生きることも、いまだにできない。
こういうダメさ加減を自覚するたびに、恥ずかしく、悔しく思う。どうにか取り繕って、できる風を装えないか……と悪あがきをしてしまう。
そんな私に似てるなあ、と共感したのが『君と宇宙を歩くために』の小林くんだった。
1巻刊行を記念して泥ノ田先生のインタビュー記事が公開されていたので、先生の言葉を引用しながら物語の概要を書いてみる(引用太字)。
『君と宇宙を歩くために』の1話では、「自分の「できない」を認めることをダサい・怖いと感じており直視することを避けて」いる小林くんが、「自分の「できない」を解決する方法を駆使して自立した生活をしようとして」いる宇野くんに出会って、「自分の大きさを認めて一歩踏み出す瞬間」が描かれている。
2話以降では、2人が〝ダチ〟になっていく過程や、他の「できない人」と絡んでいく様子も描かれていく。
似てる、共感した、とは書いたけれど、小林くんの「できない」とわたしの「できない」は違う。小林くんは友達多そうだし、歌上手そうだし。小林くんと宇野くんも違うし、わたしと宇野くんも違う。
「できない」ことの種類や度合いは違うけど、「できない」ことがたくさんある事実は同じで、それに悩んでいるのも同じ。だから「わかるよその気持ち、しんどいよね」って強く共感できた。
「できない」気持ちに襲われるとき、「こんなこともできないのなんて、自分だけなんじゃないか……」と思うから余計に凹むし、恥ずかしいって気持ちが生まれる。暗い底の部屋でひとりぼっちで体育座り、みたいな心象風景になる。
でも、小林くんと宇野くんの話を読んで、わたしだけじゃないんだなって。みんなにそれぞれの「できない」があって、その中身がグラデなだけなんじゃないか。当たり前のことだけど、改めてそう思えて、ちょっと気が楽になった。
自分のできなさを隠さず、なんとかしよう、なんとかするためにはどうしたらいいんだろう、と考えるマインドになるためには、この「自分だけじゃない」ってことをちゃんと知っておく必要があると思う。
自分のできなさを受け入れて、テザーを作って、学校生活を歩いていく2人の姿に励まされる1巻だった。わたしも、自分の大量のダメさを受け入れて、奮闘していきたいなと思う。取り繕わず、諦めずに。
*
と、書いていたら『今日のダーリン』では糸井重里さんが、
と書いていた。こんなすごい人もわたしたちと同じグラデの中にいるんだなあ、とびっくり。ラストの「できないことは、なにかの価値にもつながってると言いたい。」にも勇気をもらった。
*
ちょうどいろんな「できない」に襲われたり、人と「いやでもみんなそうだよね〜」と話せたり、「できない」ことに関してぐるぐる考えた週でした。
好きな漫画の話を書くのは初めてで難しかった&緊張……。けどとにかく1巻めっちゃよかったです!(あと、みんなが一個一個新鮮に驚いたり、懸命に頑張ったりする姿がかわいいというのも好きポイントです!)