『関白秀次の切腹』~様々な「たられば」を考える~
皆様、お久しぶりでございます。今回はサッカーではなく歴史についての文章です。
今回読んだのは題名にもある通り『関白秀次の切腹』という本です。この本は矢部健太郎氏がKADOKAWAから2016年に出したもので、豊臣秀吉の甥である豊臣秀次切腹事件をテーマに書いています。
ところで、豊臣秀次と聞くとどのようなイメージがあるでしょうか。高校の教科書では秀吉から関白の地位を譲られたものの、実子の秀頼が産まれたため疎まれて最後は切腹に追い込まれたとなっています。また、疎まれたことへのストレスからか狂気をはらんだ行動に出て殺生関白と呼ばれたという逸話を思い出した方もいると思います。
しかし、この著作ではそれらを否定しています。では、秀次切腹事件とはどのようなものだったのか。一言でいえば、
「無実の罪を着せられ、それに対する抗議を込めて自害した事件」
矢部氏はこのように結論づけています。詳細はこの本を読んでいただくとして、今回は「もし秀次が切腹しなかったら」をあれこれ妄想してみます。
まず、歴史的事実として秀次は文禄4年(1595年)に亡くなっています。もしここで忍び難きを忍び耐えがたきを耐えて切腹を思いとどまったとします。そしてこれも歴史的事実として3年後の慶長3年(1598年)に秀吉は亡くなります。もし3年耐えて秀吉が先に亡くなったらどうなっていたか。可能性としては
1.許されて京都に戻る
1-a.京都に戻って政権に復帰する
1-b.京都には戻るが政権に復帰できない
2.許されず高野山(秀次が追放された場所)にとどまり続ける
3.秀頼の将来を考えて石田三成や淀殿あたりが討手を差し向ける
が考えられます。その意味では、秀吉が亡くなったところがターニングポイントとなりそうですね。
また、もし京都に戻れた場合は秀吉が亡くなった2年後、慶長5年(1600年)に起こる関ヶ原合戦にどのような立場につくのかも気になるところです。個人的には家康に誼を通じそうなきがしますがはてさて。
といったところで、秀次の切腹は我々が思っている以上に影響のある事件だったのではないかというのが読んでみての感想でした。これまでは読んだ本の感想をツイッターで述べていましたが、140字じゃ収まらないということで今回からはこちらでつらづらと書いていきます。
読んでいただき、ありがとうございました
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