[後編]低温やけどで悲惨な目に遭った話〜その後の経過、母乳育児をやめるまで
第二話はこちらです↓
※最終話公開に合わせて、当初公開時から題名を一部変更していますが、内容は同じです。
そんなこんなで三が日が明け、私は負傷した右脚を引きずりながら、紹介状を片手に近隣市の大学病院に向かった。
ちなみに紹介された先は皮膚科ではなく、形成外科である。
湯たんぽから派生して、とんでもないことになったと改めて実感したのは言うまでもない。
しかし、到着早々1週間以内の発熱症状の項目に◯があるせいで、私はコロナ患者疑いとしてまたしても屋外の寒い隔離スペースに通された。
熱を出すだけで腫れ物扱いである。
本当に異常事態だな、と思いつつ、説明して待つこと数十分。
通された形成外科の待合室は、待ってましたと言わんばかりに押し寄せる患者達(私含め)でごった返していた。
ここは大学病院。加えて初診なので、多少の待ち時間はやむを得ないと覚悟はしていた。
それでも想像以上に待たされ(これはその後の通院でも同様だったのだが)、病院に着いてから2時間近くが経過した後、私はようやく診察室に通された。
若い主治医の先生から「大変でしたね」と労いの言葉を掛けられ、それだけで救われた気持ちになった私についた診断名は、「皮膚欠損」だった。
全治6週間。
なかなかインパクトのある病名だな、と思った。
その日から、毎日の消毒に加えて、週1回の大学病院通いが始まった。
育休中ゆえ、仕事のことを考えずに毎週通院できたことは大きかった。
2月までは消毒も兼ねて毎週病院に通い、その後の経過観察も含め、治療は育休復帰直前の4月上旬まで続いた。
大学病院という性質柄、予約してもなお待ち時間は長く、通院の日は半日が当たり前のように潰れた。
治療中に蕁麻疹を発症して、追加で授乳中でも飲める薬を追加してもらったこともあった。
原因は最後まで分からなかったが、恐らくストレスでしょうね、と、主治医に言われた。
今思い返しても、1月2月は通院していた以外の記憶がなく、精神的に辛い時期だった。
そんな中でも、病院から帰ると、0歳息子の子育てが待っていた。
皮膚が欠けた脚は何かをするたびに激痛が走り、抱っこも散歩も、満足にすることはできなくなった。
細菌感染を防ぐため、一緒にお風呂に入るなどもっての外だった。
月齢的には既に離乳食は2回食になっていたが、通院日は1回食でもやむなしと割り切るしかなかった。
通院の間は息子を義実家に預けて、ミルクをあげてもらっていた。
私が抗生剤を服薬していた期間は蜂窩織炎発症後数日のみだったため、紹介先の大学病院に移ってから、断乳指示は解除となっていた。
しかし、授乳回数減少に加え、治療のストレスもあってか、私の母乳の分泌量は日に日に落ちていった。
結果的に、3月で完全ミルク育児(完ミ)に移行した。
母乳信仰の風潮が一部にあることは理解しているが、私のように、こういう形でやむなくミルクに移行する人間もいる。
個人的には、母乳母乳と、プレッシャーを与えて母親を追い詰めるのはどうかと思っている。
むしろ混合栄養で育ててきたからこそ、今回の不測の事態に対応できたのであって、完全母乳だったらこうはいかなかっただろうから。
話が逸れたので結論に進みたい。
低温やけどによって私の身に起こった事柄を時系列で述べてきた。
傷口は塞がったが、いまだに私の足にはこの時の傷跡が残っている(閲覧注意画像のため、添付は割愛する)。
以降、私は
予め湯たんぽで布団を温めておき、就寝前に外す
湯たんぽを覆うカバーを二重にする
身体を冷やさないよう努める(厚手の靴下を履く、腹巻きをする、白湯を飲むなど)
など、月並みではあるが気をつけるようにしている。
お酒を飲んだ後や産後等で頭が働かない時期(私はこれだった)は特に気をつけた方が良い。
そして万一低温やけどに気づいたら、どんなに寒くても私のように保冷剤でごまかすのではなく
流水で冷やす(最低でも20〜30分)
皮膚科(か、重症と思われる時は形成外科)に行く
ことを強調しておきたい。
重症化するとどうなるかは…既に記載した通りである。
これからの季節、健康に留意して、楽しい年末年始をお過ごしいただければと願っている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
※補足情報として、保険について最後に触れておきたい。
私は職場で加入する団体契約の傷害保険に入っており、保険金が出るか問い合わせてみた。
結論は支払対象外。傷害保険が保険給付されるためには
「急激性」「偶然性」「外来の事故」
この条件を満たす必要があるが、
長時間湯たんぽに触れることで引き起こされる低温やけどは、これらの条件を満たせないとのこと。
ただ保険によって扱いは異なるので、まずは保険会社に問い合わせてみることをおすすめしたい。