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「自分のことは自分でやる」私が子育てで気をつけていることの話
育児のスタイルについて、私に確固たる信条があるとは言い難い。
ワーキングマザーを自称しながら子育て論について多くを語らないのも、それが理由だ。
そんな私が意識していることの一つを挙げるとすれば、自分のことは自分でやる、自分のことは自分で選択する(親が何でもかんでもやってあげない)ということである。
自家用車も子ども乗せ自転車もない我が家の保育園の送り迎えは、当然のように徒歩だ。
息子も自力で歩いている。
我が家ではごく当たり前にやっていることだが、必ずしもそうとは限らないらしい。
多いのが、駐車場に車を停めて車から降りた親が、抱っこでそのまま保育園内の保育室まで子どもを担ぐパターンだ。
子どもは靴も履かずに裸足。荷物は親が持つ。
そして帰りもこの逆のパターンでサクッと帰っていく。
子どもは何もする必要がない。
親からしても、登降園を一つの「業務」として手早く終えることができる。
対して我が家の場合を振り返ると、どうにも最短ルートからかけ離れたことばかりしている気がする。
例えば、息子は自宅を出る前、カラーボックスの中からその日履く靴下を自ら選ぶ。どれにしようかなーと毎日楽しそうに見比べている。
母としては正直何でも良いし、むしろ早く決めてくれよ、と内心思うことが多々ある。が、ここをグッと堪えて見守る。
園に着いたら着いたで、
上着を脱ぐ
靴や靴下を脱く
靴箱にある上履きに靴下を入れる
一つひとつにどうしても時間がかかる息子の身支度を、なるべく口出しせずに(してしまうこともあるが)見守る。
そんなことを繰り返せば電車の時間まで残り僅か。子どもを園に預けた後、平日はほぼ毎日駅までの道を走る羽目になる。
帰りは帰りで、
駐車場を行き来する車を眺めて車種を当てる
自動販売機の前で物欲しそうに立ち止まる
日照時間の長い夏は近くの神社で同じクラスの友達と追いかけっこ(そしてその神社に生息する蚊に私は毎度のように餌食にされ、帰宅後あまりの痒みにブチ切れそうになる)
果たしていくつ関門を潜り抜ければ自宅に辿り着けるのかと、ため息が出そうになることも多々。
フルタイム勤務を選択しておりただでさえ帰宅時間が遅い中、帰宅後の夕飯〜風呂〜寝かしつけまでのスケジュールがずれ込むのも悩ましいところである。
そうこうしているうちに、私より後にタイムカードを押したはずの保護者達が、次から次へと私達を追い越してゆく。
帰り道に公園で友達と遊んだために、帰宅したら好きなテレビ番組が終わっていて、息子がぶー垂れている光景もザラだ。
親が先回りして気を利かすなら、最初からテレビ番組を録画すれば良い。が、敢えて私は録画しない。
友達と遊ぶか、テレビ番組を見るか。
お腹が空いていても寄り道をするのか、寄り道しなかった分だけ早くご飯を食べるのか。
どちらも選べない場面でどちらを選ぶのか。
自分で選ぶ。自分でやる。そして、自分の選択に責任を持つ。日常生活において、母である私はその繰り返しを意識し、極力見守るようにしている。
あれもこれも当然に母がやってくれる、と思ってもらっては困るのだ。
なぜ、そのようなことを思うようになったのか。
それは息子が0歳の頃、私は足に全治3ヶ月の重傷を負い、抱っこはおろかまともに歩くことさえできなかった時期があった経験に起因している。
治療の結果歩けるようになってからも、まともに動けなかった3ヶ月で私の体力はガタ落ち。
子どもの世話で腰をやられ、週末にベッドから動けなかったことも一度ではない。息子が生まれた時から今に至るまで成長曲線の上(むしろ突き破る)を行く大きめ君だったこともあり、抱っこ紐は1歳を迎える前にあっという間に卒業してしまった。
少し話が逸れるが、私のストレングスファインダーの1位の資質が「責任感」である。
自分のしたことに責任を持てる人間でありたい。常々私はそう思ってきた。
親の責任として、息子が困っている時は手を差し伸べたいと思う。
が、例え母であっても判断に迷うことはあるし、どうしても助けになれない時もある。
周囲の友人も、インターネット上に溢れ返った情報も、また然りだ。参考にするのは結構だが、自分の人生、最終的に選択するのは自分なのだ。
息子にも、自分で自分のことは決断し、当然のように自ら行動できる、将来的にはそんな自立心を持った人になって欲しいと思っている。
最短ルートとは程遠い子育てだ。今流行りの「タイパ」の概念もどこへやら、だ。
しかし、この日々がゆくゆくは、彼の自立心を養うための、土台となってくれることを期待している。