空飛ぶ絶叫マシン《秋田珍道中記②・到着編》
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足が攣って転びそうな勢いで空港を駆けぬけた、いや駆けぬけるなんて爽やかなもんではなかったけれど、とにかく息が上がったまま空港のバスから降りたわたしとタカちゃんが乗ったのは、秋田行きの最終便だった。ジャンボに比べたらいささか不安になる、ちいさなプロペラ機。わたし達以外の搭乗客はたった10名ほどで、機内はがら空きだった。
窓の下にひろがる美しい夜景をたっぷりカメラにおさめ、シートベルト着用ランプが消えたところで、ドリンクのサービスが始まる。CAさんの指先まで神経の行きとどいた所作と愛らしい笑顔に鼻のしたを伸ばしながら、飲み物を選んだ。ふだん飲んでいるのは圧倒的に紅茶か緑茶なのに、こういう特別な場所へくると、なにか違うものを頼んでみたくなるのはなぜだろう。あのとき、寒くもないのにコンソメスープを選んだ自分を、わたしは後から吐くほど後悔することになる。
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機長からアナウンスが入ったのは離陸から30分ほど、コンソメスープも飲み終わった頃だった。どうやら航路上に積乱雲が発生していて、迂回ルートを探しているらしい。揺れるからシートベルトを着用して乗務員の指示に従うように・・・というアナウンスが切れた直後、最初の衝撃がやってきた。どん・・・と重い音とともに腰が下へ引っぱられ、すぐさま浮き上がった。ぎゅぅぅぅーーーーーぽん! う、産まれる・・・って今さら産みたいものは脂肪くらいしか持ち合わせてないけれど、この感覚は・・・あれだ。遊園地にある、途中で回転や進行方向が逆になるジェットコースターみたいに、Gがかかって急に解放される感覚。
あらあら、さっそく揺れたわね・・・なんて余裕をぶっかましていられたのは ほんの30秒ほどで、すぐに上下左右縦横無尽震天動地の揺れに飲みこまれた。ちゃぷん。乗ったことないけど地震体験車に乗ってるみたいな揺れのなか、不規則におしりが持ちあがり、ガチガチにシートベルトを締めていても座席から身体が浮いてしまう。ちゃぷちゃぷん。誰のかわからない手帳やバッグが足もとへ滑ってきたり、上下動が激しくなったりしてくると、機内のあちこちで悲鳴があがった。
タワー・オブ・テラーとスペース・マウンテンをシャッフルしたような動きといえば、解ってもらえるだろうか。絶叫マシンが空を飛んでいる。予測のつかない動きとたった10数名の搭乗客から漏れるリアルな悲鳴は、まるでパニック映画だった。信濃川の奇跡とか、アンハッピーフライトとか要らんから。普段は動じないわたしも、うっかり口から悲鳴が洩れてしまう。
不意にコンソメの香りがふたたび鼻腔を通過した。これはやばい。衆目にさらすにはいささか躊躇する言葉ではあるけれど、ゲップが止まらない。ストップ The コンソメゲップ! 何分この状態が続いているのか分からない。気圧のせいか耳が痛い。耳抜きをしようとするとコンソメが上がってきそうで、もはや腹圧のかけ方がわからない。コンソメが口から、ゲップがおしりから発射されたらどうしてくれる。あ、何分続いてるか分からないって話だった。もちろん時計なんて見れるわけがない。さっきから、わたしの目は網ポケットのエチケット紙袋にロックオンされたままなのだから。
その頃、わたしの脳みそはシミュレーターと化していた。なんの?って、いざというときの順番に決まっている。あの紙袋は衛生上、上端を切り取らなくては開かないようになっているはず。先に切り取っておいたほうが間に合う可能性は高くなる。でも、もしも事前に切って使わなかったら、ecoじゃない。ふだんecoのことなんてちゃんと考えたこともないくせに、どうしてこんなときばかり考えてしまうんだろう。どうしよう。タカちゃんの状態も気になるが、もはや悲鳴以外の言葉を発することができない。隣の席のタカちゃんの方へ90°顔を向けるなど、これ以上ない危険行為だ。タカちゃんをマーライオンの前に立たせるわけにはいかない。さぁ、どうする? 脳内シミュレーションが始まった。コンソメスープが食道内に放出されたら、紙袋をシュッと抜いて、ジャッと切り取り、パカッと開けて、口をおおう。それだ! それしかない! いや、そのタイミングで間に合うのか? わたしはとても大真面目にシミュレーションを繰り返した。シュッ! ジャッ! パカッ! 放水! シュッ! ジャッ! パカッ! 神様仏様イエス様ごめんなさい! 夕焼けに見とれたわたしが悪かったんです。もうやめて! 墜落するとも着水するとも思ってないけど、三半規管がもはや崩壊してる。
何時間も経ったような気がするけど、そんなに乗ってたら北極に到着しちゃうだろうからきっと15分か20分くらいなんだろう。相変わらずゴゴゴゴと怪しい音を立てる飛行機に振り回されていると、機長からアナウンスが入った。
「当機はただいま乱気流を避けながら進んでおります。前方に更に大きな雷雲があるため、予定航路を変更し、到着予定時刻から15分ほど遅れて到着する見込みです」
・・・な・・・なんですと? 15分延長サービスはマッサージだけにして!って思う間もなく次の揺れが来る。もはや揺れが来てるのか波が来てるのかわからない。うぐぐぐ・・・コンソメ臭ハンパない。空の上で仕事してる人たち、マジで尊敬する。このなかで仕事してるなんて、本当にすごいよ。スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス! メリー・ポピンズばりに魔法の呪文を唱えたところで、わたしの目は相変わらず紙袋にロックオンされたままだった。
揺れがいくぶん少なくなって、シートベルト着用サインが消えた瞬間、タカちゃんはにこやかなCAさんに酔い止め薬をリクエストして、わたしもついでにもらって飲んだ。飛行機のうえで酔い止めが必要になったのははじめての経験だった。
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着陸の衝撃を感じたとき、こころの底からホッとした。立ち上がると、くらくらしてまっすぐ歩けない。暗くてほとんど人のいない秋田空港の手荷物受け取り所には、座面の低いソファが置いてあった。タカちゃんと目でやりとりして、ひとつおきに✕印の貼られたソファにギックリ腰並みにのろのろと腰をおろす。そのまま横になりたいけど、無情にもベルトコンベアが動き始める。どうせ荷物が出てくるのに時間がかかるから・・・なんて思っていたら、あっという間に出てきやがった。当たり前だ。10名ほどしか乗ってなかったんだから、荷物の数なんて数個しかない。あわてて立ち上がりベルトコンベアに駆けよった。ちゃぷちゃぷちゃぷん。
到着ロビーで秋田駅前行きのシャトルバスのチケットを買って、バスへ乗りこむ。秋田は雨だ。雨が降っている。全席の網ポケットを見ると、エチケット袋はない。そりゃそうか。観光バスじゃないんだから。通路を挟んでタカちゃんと座ったけれど、ふたりとも話す気力もない。魂を抜かれたように窓のそとを見つめながら40分間バスに揺られた。ちゃっぷんちゃっぷん。
前方に稲妻が光る。くっそ! 積乱雲め。
急に建物の高さが高くなったと思ったら、秋田駅前だった。
バスターミナルからぐるっと見渡すと、予約したビジネスホテルはすぐに見つかった。ダウンジャケットのフードをかぶって、小雨のなかスーツケースを押して歩く。禍で旅行客も出張客も激減していたせいで、素泊まり一泊3,000円。安く泊まれたうえに、フロントの人たちはとても感じがよかった。「温かいのと冷たいのとどちらがいいですか?」と尋ねられ、「温かいのをください」とお願いしたら、おしぼりが出てきた。ありがたい。
部屋が隣だったタカちゃんと無言のままエレベーターで最上階まで上がり、部屋の前まで来た。カードキーを突っこみながら振り向くと、タカちゃんと目が合った。
出発前には「どこで夕飯食べる? 日本酒楽しみだなぁ!!! せっかくだから秋田の地酒が飲める店がいいなぁ」とはしゃぎまくっていたタカちゃんは、飛行機に乗ってる間にたぶん数kg痩せていた。
タカちゃんは言った。
「まだ、食べられないよね・・・」
「うん・・・」
「復活したら、LINEするわ・・・」
「うん・・・」
がちゃん。ゾンビ御一行様、到着。
荷物を置き、ダウンを脱ぎ、ブーツを脱いで、トイレに座る。まだ胃が落ち着き場所をさがしているけれど、おしっこ以外なにも出る気配はない。
はぁぁぁ・・・落ち着く。お目汚しなおしり丸出し状態だけれど、今日イチこれが落ち着く。もうエチケット袋とにらめっこしなくて済むんだもの。
わたしは・・・もう、動けない。
この続きは、またいつか。
※ 秋田駅前の写真は、この後で撮ったものです。到着時には、カメラをリュックから出す元気すらなかったもの笑