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◇不確かな約束◇第10章① 幸せのカタチ

※ リレー小説◇不確かな約束◇の参加作品です。
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ちょっと時間はかかったけどね、お散歩で走れるくらいまでに戻ったのよ。すっかり筋力が弱っちゃってたから、最初は、生まれたての子鹿みたいでね。でも、ずっと祈ってたから、私、あの子のそんな姿見てたら泣けちゃってね・・・。やだ、ごめん。
あ、出かけるの? 行ってらっしゃい。

 

美咲さんの目が潤むのを見て、もらい泣きしそうになる。
良かった。ゴローはちゃんと回復できていたんだ。
サイドボードの写真立ての、ちいさな花かんむりを頭に乗せたゴローと目が合った。
あぁ、耳がぺたんと寝てる。幸せそうな笑顔。
もう、ゴローに触れることは出来ない。結局、間に合わなかったけれど、美咲さんと走るゴローの姿を想像して、勉強に明け暮れたこの7年間が報われた気がした。

 

「行ってきまーす!」
ドアの重たい音に続いて、楽しげな靴音が遠ざかっていく。

 

 

ゴローの旅立ちを知らせる年賀状を受け取った3週間後、Instagramのタイムラインに採用内定通知を喜ぶ先輩の投稿が上がった。なかなか決まらなくて焦る姿を見ていたから、心底ホッとした。
研修医生活はまだあと1年残っているけれど、私もそろそろ、その後の就職先を考えなければ・・・。
就職先は、横浜の動物病院にしようと決めていた。亀山先生の道場に通っているうちにズーラシア!とも思ったけれど、応募するには臨床経験が全然足りてないし、やっぱり私の原点はゴローだから。
美咲さんに手紙を書いたのは、その晩のことだった。

 

 

午前中は気になった動物病院を2ヶ所回った。もちろん、中に入ったりはしない。Webではわからない雰囲気や混み具合、飼い主さんの年齢層、通勤のしやすさなどを自分の眼で確かめておきたかった。有休を足して3日間。その間にもう何軒か見られたら。

この日にしたのには、理由がある。
シュウは、あの約束を覚えているだろうか。
ふたりが別れた日の7年後、2月28日 18:30に新宿のカフェ Promised Place で。

 

美咲さんの家は、ブルーラインの駅から坂を上がった懐かしい雰囲気の団地のなかにある。
登り切ったカーブで、さらさらと髪がなびく。一瞬迷ったけれど、束ねるのは止めた。コートの左ポケットのシュシュを、確かめるように握りしめる。

あれから7年が経ち、美咲さんは母になっていた。
私は獣医になったし、シュウと別れてからショートにしていた髪も、肩先まで伸びた。
あの日の約束は、今夜。

私は、あれから何か変わっただろうか。

 

 

あのときね、離婚の直接の原因は、私が産めない身体だと判ったからじゃなかったと思うのよ。彼が子どもを熱望していたのは知っていたし、私と別れて彼の子を産んでくれる他の誰かと結婚したほうが、彼の幸せなんじゃないかと、どこかで思ってた。それと同時にね、彼は子どもを産めない私は要らないんだ・・・とも思ったの。ふたりで添い遂げるという選択肢は、彼にはなかったのよ。

愛した人の一番の望みを、私は叶えることができない。それが、とてつもなく苦しかったし、それを言葉にして話し合うことも出来なかった。

どうして?って、そうね・・・怖かったのよ、きっと。
うすうす感じてた“私は要らないんだ”を、正面から彼の言葉で突きつけられるのが。
だから、私、逃げたんだと思うの。彼と向き合うことから。

 

今の夫にはね、あれから働きだした会社で出会ったの。
付き合って1年くらい経ってからかな、打ち明けたのよ。妊娠できない身体なんだって。
そしたら彼ね、「妊娠できないことなんて問題じゃない、僕はあなたと一緒に生きていきたいんだ」って言ってくれたの。ぽろぽろ泣きながら。あんまり泣くから、私は泣けなくなっちゃったけど、ね、なんか、いいプロポーズだと思わない?
うふふ、のろけかぁ。ごめん。

あの子ね、私たちと血が繋がってないの。本当のお母さんは若すぎて、産んでも育てられなかったんだって。
特別養子縁組って聞いたことある? そういう制度があってね、前から気になってたの。事前に何度も勉強に通ったり、最終的にはちゃんと育てていけるか審査を受けたりしないといけないんだけど、彼は「めぐり会えた子と一緒に家族になっていこう」って。

勉強しながら、何度も何度も話し合って。ケンカもしたわよー、もちろん。
産んでもいない私が、お母さんになれる自信なんてなかったしね。

夫も悠人も3人とも血の繋がりなんてない、寄せ集めみたいな家族だけどね、私にとっては何よりも大切な宝物なんだ。もちろん、ゴローもね。
今でも近くで私たちを見守ってくれてる気がするの。あの子にとっては、ゴローはお兄ちゃんで第2の母みたいな存在だったしね。

 

 

漠然と、いつか結婚するのが当たり前だと思っていたし、結婚すれば自然と子どもができるような気がしていた。産むことも、生物として当たり前の営みだと思っていたし、高校生の頃は、シュウと結婚したら・・・なんて想像してみたこともあった。

もちろん、生命の奇跡は理解している。ラットの1ヶ月での妊娠率はほぼ100%だけれど、ヒトの妊娠率は20%ほどだ。セックスすれば妊娠できるわけではないし、妊娠できたとしてもすべての胎児が無事に産まれるわけじゃない。
勇気を出して不妊治療に踏み出しても、美咲さんのように、医師から0%を突きつけられたり、パートナーを失うことだってあるし、初めから結婚や出産を望まない生き方だってある。
でも、こんな家族の在りかたもあるんだ。

母の顔になった美咲さんが教えてくれる。
家族の数だけ家族のカタチがある。
人の数だけ幸せのカタチがある。

私は?
私はこれから、どうしたいんだろう。
あのとき、7年後には一人前だと思っていたけれど、国家試験に合格したとはいえ、まだまだ研修中で半人前だ。
こんな中途半端な状態でシュウに会って、私はいったい何を話すつもりなんだろう。そもそもシュウのこと、私はどう思ってるんだろう。

 

 

北海道にいい人いないの?という美咲さんの問いかけに、気持ちがまとまらないまま話し出す。
今の私には誰もいないのに、心のなかを覗くと、いまだにふたりが居すわったままだ。

 

亀山先生・・・ってさっき話した道場の先生ですけど、その先生に「松井先生は反芻動物だから」って言われたんですよね。その言葉が、何だか忘れられなくて。反芻したい竜也と、反芻したくないシュウが、心のなかにいるんです。

でもね、竜也はもういないでしょう? だから反芻しちゃうのかな。彼のバイクの後ろに乗って、北海道の大きな空の下を走っていたとき、何だか「自由だーーー!」って思ったんですよね。私も何かから逃げたかったのかな。わかんないけど。

反芻したくないシュウとは、実は、今夜会うんです。
進学先が決まって、私から別れようって伝えたときに、約束したの。7年後の今日、新宿のこの店で会おうって。
シュウが覚えていれば・・・だから、不確かな約束なんですけどね。

 

 

話していて、ふと気づいた。
反芻したくないって感じるのは、きっと、私に後ろめたさがあるからだ。

 

騒々しい足音に続いて、悠人が駆け込んでくる。
「ケーキ買ってきたんだ、パパと! ユキちゃん、苺とチョコ、どっちが好き?」

つづく

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!