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喪失感の行方 〜あとがきにかえて #不確かな約束
何とも表現しようのない喪失感に、驚いてしまう。
ぽっかりと空いたその穴を・・・というせつない歌があるけれど、私の胸に空いたその穴を覗くと、あの晩の青鈍色に曇った新宿の空がひろがっている。
こんな気持ちになるなんて。
のろのろと身体を起こしてテレビをつけると、華やいだ声が桜前線の北上を告げている。週末の宮島は淡いピンクに彩られ、人々も心なしか浮足立って見える。
彼はもう広島へ戻ったんだろうか。
新着はないと知っていて、LINEを開ける。彼との会話は、あの日の夜の「また会おうね」で途切れたままだ。
ため息をつきながらカーテンを開ける。
目の奥が痛いほどの光が射し込んできて、思わず顔をしかめた。
軒先のつららが光る粒を落として、雪にまたひとつ穴をあける。
❅
札幌に戻ると日常が待っていた。
通勤して、白衣に着替え、動物たちと対話を重ねる。午後はオペの介助とカルテの整理。日が暮れたらアパートに帰って、ひとりぶんの食事を作り、テレビをぼんやり眺めながらそのうち眠ってしまって、朝がまた来る。
単調な生活はいい。
淡々とタスクをこなしていけば、一日が終わる。
つらいのは週末だった。
努めて普段通りの生活をしようとするけれど、小さなアパートでどれだけ家事をしたところで、時間は余る。
じわりじわりと侵食してくるあの晩の出来事を振り払うように、キッチンの天板をみがく。
❅
別にヨリを戻そうと思っていたわけじゃない。彼を私のモノだなんて思ってもいない。だから、失ったわけじゃない。
私はただ、避けて通ってきた“向き合うこと”に、正面からトライしただけだ。
あの日、見慣れた夜景が流れる車窓から、私のせつなさはどんどん加速していった。楽しかった思い出がよみがえるたび、全てを切り捨てた7年前の自分の言葉の重みが増してゆく。
美咲さんがダンナさんと向き合おうとしたプロセスを聞いたら、いかに自分が向き合うことから逃げてきたのか、思い知らされた。
7年前、私は成長のために痛みを選択したんだと思っていたけれど、あの痛みのおかげで成長したのは知識と技術と考察方法だけ。
人間的な成長なんて、全くできていない。
そう思ったら、新宿までの足取りが急に重たくなった。
もしも会えたら謝ろう。それだけは決めていた。
でも、来てくれなくてもいい。むしろ、会えない方が気が楽かもしれない。
閉店まで待って来なかったら帰ろう・・・と思いながらドアを開けた瞬間、あの日と同じ窓際、昔と変わらない笑顔と目が合って、ドキッとした。ほんの少しだけだけど。いや、違うかな。
今思えば、閉店まで待って帰ろうとしたことも、向き合うことからの“逃げ”だったんだと思う。閉店まで待てば、“私はちゃんと約束は守ったし、最後まで待った”という言い訳ができるわけだし、会えなければ7年前の答え合わせをしなくても済むから。
ずるいなぁ、私。
謝ろうと決めていたのに、まだどこか自分を正当化しようとしてる。
彼は来ないかもしれなかったし、もし会えたとしても普通に話せる気はしなかった。
7年前のことを責められるのも覚悟してたから、なおさら気が重かった。
でも。
彼はその頃の気持ちを語っただけで、私を責めなかった。
それどころか、私がどういう気持ちで別れを切り出したのかを様々な角度から尋ねて、彼なりに理解しようとさえしてくれた。
生ビールに添えた指先はあの頃と何も変わらないのに、同じ席で何も言わずにデミタスカップを見つめていた7年前のシュウはもう、どこにもいない。
❅
あぁ。変わりたい。
おとなになりたい。
私も成長したい。
おとなの対応だった彼を見て、変わらない自分の幼さを思い知った。
この歳でおとなになりたいっていうのも変だけれど、もしかしたら初めてかもしれない。
「変わらなきゃ」じゃなくて、「変わりたい」と思ったのは。
じりじりと砂を噛むような反芻が続く。
変われるだろうか。
前に進めるだろうか。彼のように。
私たちの交点は7年前。
もはや彼の描く軌道は、彼方を進んでいる。
反芻しながら周回し続けてきた私がもしも進んでいくことができたなら、彼の直線と私のらせんに、再び交点が生まれることもあるかもしれない。
磨き上げた天板に、陽の光が射す。
雪残る春の休日、LINEはまだ打たないけれど。
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リレー小説に参加した感想などは最終話前日に既に書いてしまったので、あとがきを書くつもりはなかったのですが、気が変わって、これを書きました。
先週末まで書いていたリレー小説『不確かな約束』最終章の“あとがき・・・のようなもの”です。
最終話を公開した晩、前の章(だけではないですが)を担当していた拝啓 あんこぼーろさんが、最終回の考察と感想文を書いてくださいました。読みながら、自分はこういう話を書いたのか・・・と目からウロコがぽろぽろ落ちました。
いえ、泣いてませんよ。けっして。
落ちたのはウロコに見える雫です。
ぼーろさんから「あとがきが見てみたい」とリクエストがあったので、あとがきを書き始めたのですが、どうにもしっくりこないので、代わりにユキに託しました。
ぽっかりと空いたその穴を・・・というユキの気持ちは、私も同じです。
ふたりを、その物語を失って。
最終章を読んでくださった方は、こちらもどうぞ。
ぼーろさんの解説です。めちゃめちゃ嬉しかった!
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