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わたしは守られている、と思う。その“エビデンス”

たまに強力な雨男に負けることがあるけれど、私は晴れオンナだ。
入学式、遠足、コンクール、旅行・・・人生のたいせつなタイミングは、結構な確率で雨はふらなかったし、なんなら晴れていることのほうが圧倒的に多い。

“晴れオンナ”なんて根拠のないことを言っていると、むつかしい言葉で話しかけてくる先生たちに「エビデンスは?」とか言われちゃうので、根拠をひとつ。

職場では週に1回、屋外で作業をしなければならない当番の日がある。
両手を使う作業は、傘をさしているかどうかで、効率も快適さも全然ちがう。
さしたままでは、傘がかたむき身体が濡れてしまうし。

「え? 人生のたいせつなタイミングって、それ?」って言われそうだけど、何十年も生きてると、人生のたいせつなタイミングなんて、そうそう転がってないんだもん。
だから、エビデンスはお当番のときの天気でいいよね?
よし。

 

当番は1週交代で早番と遅番があるのだけれど、ここ5年間で、私が雨に降られたのはたったの2回だ。
盆暮れ正月を除いて年間49回当番があるとして、5年で245回。
もちろん、この245日がすべて晴れの日だったわけではない。
でも、不思議と降られないのだ。

たとえば朝、家を出るときには雨が降っていても、構内に入る頃には雨はあがっている。
たとえば夕方までずっと雨が降り続いていても、当番のために外へ出る時間になると、雨はあがっている。

だから、私のお当番の時間帯は、降水確率1%未満という驚異的な数字をたたき出している。
ねぇ。私、すごくない?

でも、これって、まちがいなく私のチカラじゃない。
そうかといって、これって普通のことじゃない。
砂漠の真ん中でお当番をしているわけじゃないんだから。
年々、亜熱帯化している潤いたっぷりの日本で、降水確率1%未満なんだから。

だから、私はいつも、こう思うことにしている。
お当番の日に晴れるのは、おじいちゃんが守ってくれてるから。

祖父は9年前に亡くなっているし、なんなら祖母も亡くなっている。
見えないどこかから祖母が、それとも知らないご先祖さまが「うた! 違うって! 晴れさせてるのは私よ!」って言ってるかもしれない。
でも、お当番の日に晴れるのは、おじいちゃんのおかげ!と、私は勝手に決めたのだった。

お当番の日は毎回、構内を歩きながら、空を見上げて思うのだ。
「今日も晴れにしてくれてありがとう! おじいちゃん!」

自転車に乗っていて車にぶつかられたときも無傷。
どうしようもなく困った場面で、棚ぼたラッキーになることもたびたびだ。
私には見えないし、祖父母じゃないかも知れないけれど、見えないチカラが助けてくれているような気がするときがある。

そんな私が育てたこども達も、何かラッキーなことがあると「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう! おじいちゃんかどうか、わかんないけど」とにっこり笑って言う。

 

私は、私たちは、守られている。
そう実感している。
「ありがとう!」と思う瞬間、ちいさな幸せにココロがふわっとあたたかくなる。

でも、そのエビデンスは、もちろんない。
感じることだもん。
それでいいよね。

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水野うた
ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!