笑顔の行方
「パッパー、だっこ!」
橋のたもとで伸ばされたちいさな手は、やわらかく湿っている。娘を抱きあげて対岸を見渡すと、すでに河原は人でうめつくされて、川面もビルの窓も辺り一面オレンジに染まっている。屋台の灯りが、暮れていく堤防に一列に浮かんでいた。
左腕に娘、甚平のなかのおむつはきっと濡れている。右手には妻の手。昼の名残のからみつくような熱気と人いきれに、汗が吹きだしてくる。不快指数100%。橋を渡りきって河原の人波に合流する。
妻がかき氷の屋台に並ぶと、娘が身を乗り出して指を差す。
「あっち、あっち」
「ブルーハワイがええの? レモンは?」
1歳半の娘はゆずらない。結局、歩きながら青いかき氷を口に突っこまれることになる。娘の視線が痛い。
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「片岡はレモンが好きなんやね」
「いや、そんなことあらへんで」
「だって、屋台のかき氷もレモンやし、スーパーで買うたのもレモンウォーターやん」
「あ、ほんまやな」
肩をほんのすこし上げて笑った森下の瞳から目がそらせない。しゃがんでじっと線香花火を見つめる森下の瞳には、牡丹の火花が揺れている。
花火大会へ行こうと森下を誘ったのは、高木が女子を誘って海へ行こうとうるさかったからだ。いきなり海って、高木は何を考えてるんだろう? 女子の水着姿にありつくまでのハードルは、案外高い。
森下に声をかけたのには、もうひとつわけがある。森下があかりちゃんと同じ部活で仲良しだったからだ。森下に声をかければ、あかりちゃんが来てくれる可能性が高い。今思い返してもどうにも下衆すぎる理由で森下を誘った。
改札口の向こう、うつむき加減に浴衣のすそを引いて降りてきた女性を森下だと認識した瞬間、はじめて緊張した。ゆるく結われた髪と縦縞の粋な浴衣姿は教室で見る森下とは別人のようで、目線をどこに向けていいかわからない。しかもほのかにいい香りがする。あかりちゃんのポップで可愛らしい浴衣姿に比べたら、ぐっとおとなに見えた。
❅
取引先の新聞社からもらったのは、打ち上げ地点の真正面で花火大会を見られる特別観覧席の招待券だった。人であふれる堤防とは違い、観覧席のなかは人とぶつからずに歩ける余裕がある。用意されたパイプ椅子に腰を下ろすとすぐに、妻は「イカ焼きとビールと焼きそば買ってくるね」と堤防へ戻っていった。
時報の煙雷が上がった。暮れかけの空に紫の煙が浮かぶ。
花火の音を聞くと、胸の奥でちいさな火花が散るのは何故だろう。花火に特に思い入れなんてないし、単なる夏の恒例行事にすぎないのに。
娘がぐずりだす。席を立ち、首にしがみつく娘をあやしながら歩いていると、視界をかすめる後ろ姿に釘づけになった。
男帯のような結びの粋な背中に、胸がざわつく。うすい骨ばった肩。細いうなじに結いあげられた髪。斜めに折り上げられた白地の帯には、牡丹色の朝顔らしき花の一部と緑の葉が見えかくれしている。浴衣は紺地に白のたて縞。帯結びこそちがうけれど、たしかに知っている。この組み合わせを。
森下かもしれない。いや、勘ちがいかもしれない。顔を見たい。
あせって前に回ろうとした瞬間、耳もとで娘がさけんだ。
「マンマー!」
❅
花火大会がフィナーレに差しかかる頃には、高木とあかりちゃんはいつの間にか手をつないでいて、僕と森下が隣あって花火を見ていた。
森下は竹籠の巾着をあけて花火に背中を向けた。振り向くと花火のうつる手鏡をのぞいている。轟音のなか耳もとに口を寄せた。あまい香りが鼻をかすめる。
「どうしたん?」
「なんや目に入ってるみたいやけど、わからん」
「そんなん、暗いほう向いたかて見えんわ。こっち向き」
違和感のもとはすぐにわかった。目のきわのまつ毛にのった灰かゴミ。
「取るで」
手鏡をのけて指を近づけると、森下は目を閉じた。
まぶたのうえで、花火がおどる。
彼女の化粧に気づいた瞬間、音が止んだ。
「なぁ、公園で花火やらへん?」
耳もとでそう告げたあとの森下の顔を、今もまだ覚えている。ゆっくりと笑みがこぼれた。まるで倍速再生で蕾がひらいていくように。
❅
白いビニール袋とビールを手に戻ってきた妻がちいさく手を上げたのと、縞の浴衣の女性が振り返ったのは同時だった。
女性と目が合う。
一瞬、森下かと思った。おだやかな、丸みのある目もと。
見つめあった時間は、きっと三秒にも満たないだろう。
女性は会釈をして立ち去り、開会のアナウンスが響いた。
群青の空、尾をひく笛とともにスターマインが打ち上がる。
ぬるい風は火薬のにおいがした。
了
この物語は、以下の企画に参加しています。
■ピリカさんの企画 #曲からチャレンジ
学生の頃によく聴いていた、DREAMS COME TRUE の「あの夏の花火」。
いつかおとなになったとき、わたしもこんなふうに思い出すんだろうかって思いながら聴いていました。
人でごったがえす堤防、火薬のにおいと露店のソースの香り、真上で弾ける花火の笛と轟音、瞳にうつる花火。風にのって花火の音が聴こえてくると、いても立ってもいられなくなります。
視界いっぱいに花開いてはそのまま煙と化してしまう、夜空を彩る一瞬の芸術。
どれだけ美しくてもそのかたちはとどめておけないから、あんなにもせつない気持ちになるのでしょうか。
イントロを聴いただけで「あの夏」の風が吹いてくる、大好きな曲です。
今回は「あの夏の花火」の主人公のB面ライティング。「あなた」を主役にして書きました。
ピリカさん、楽しい企画をありがとうございます!!
この企画もおすすめしたいのは山々ですが、締切が今夜8月6日(金)24時までだそうなんです。4時間あれば楽勝!ってかたは、よかったらご一緒に。
最後に、この作品は、前回の 『あの夏の花火 #しりとりでつなげ 』、前々回の『きっと何年たっても #冒頭3行選手権 』とつながっています。もしよかったら、セットで読んでいただけたら。実は、2作目でみ・カミーノさんからコメントを頂いていたとおり、タイトルはすべてDREAMS COME TRUE の曲から頂いています。3作品ともベースにあるのは「あの夏の花火」ですけれど。
企画参加3連チャンで同じ物語を描くチャレンジは、考えている間も書いている間もとても楽しかったです。企画主のみなさま、読んでくださったみなさま、ありがとうございます!
ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!