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ぶどうの露と Big Tic、最期の時間


 頬が熱い。手足はさっきまでの冷房で冷えているのに、頬だけが焼けるように熱かった。もしかしたら赤くなっているかもしれないけれど、わからない。ただ顔が火照っている。

 床のタイルにかたい音が刻まれるのをぼんやりと眺めていた。誰の足音かはわからない。この部屋はやけに音が響く。そして、哀しいくらい白く、明るかった。

 

  

「うたちゃん、ええ時計しとるなぁ。ちょっと見せてみよ」

 そう祖父が言ったのは10年以上も前のこと。わたしは手首の Big Tic を外して、祖父に手渡した。それは FOSSIL の腕時計で、デジタルで秒を描く文字盤に、アナログの針がついている。

 祖父は自動巻きの時計をはずして、わたしの腕時計を身につけた。自分の手を発見したばかりの赤ちゃんのように手首をひねりながら、しげしげと観察している。

「ここを押すとね、秒の表示が変わるんだよ」と、わたしはボタンを押した。1秒進むたびにウィンクしていた秒数が、押すたびに上スクロール/下スクロール/左右反転・・・と表情を変える。祖父の目はいっそう輝きを増した。

「おもしろいなぁ、これ。おじいちゃん、これ欲しいわ」

「おじいさんたら、うたちゃんみたい若い人の時計を欲しがっちゃって。時計なら、たくさん持ってるじゃない。ねぇ?」

「わかった! これは頂きものであげられないから、おじいちゃん用に色違いを買ってくるね。いいのいいの。おそろい、うれしいし」

「そうしてくれるか? やぁ、楽しみができた」

 楽しみができたのは、わたしのほうだ。いつもしてもらってばかりの祖父に、わたしが何かしてあげられる。それがうれしかった。

 

 
 それから数年。

 祖父は90歳を越えた頃から、在宅酸素療法を受けていた。彼の老いた肺はかたく縮んだ古いスポンジのように酸素を吸いこめなくなっていた。カニューラという透明なチューブを鼻につけ、自宅でも外出先でも酸素ボンベに24時間つながれた生活を送る。

 大好きな料理も旅行も散歩も写真撮影も運転も、趣味はどんどん遠くなっていく。彼の暮らしは、リビングの定位置で野球と競馬中継と株取引を楽しむ時間に変わっていったけれど、わたしが遊びに行くときはいつでも、彼はあのブラックの Big Tic を身につけていた。


 
 実家の近く、祖父母の家からも車で10分ほどのところに、おおきな川がある。夏になると、堤防沿いにはぶどうが描かれた看板がならぶ。産地直売の期間限定のぶどう屋さん。

 その年の夏の終わり、叔母は毎朝のようにそこへ通っていた。新鮮な種なしぶどうを買いに。毎朝ぶどうを買う人なんてきっとほとんどいないだろうけれど、叔母のそれには理由があった。

 叔母にとっての父、つまり祖父が、ぶどうしか食べられなかったから。その頃の彼は、ぶどうに含まれる水分と糖だけで命をかろうじてつないでいた。

 ボンベからいくら酸素が送られても、もう身体に取りこめない。戦後から長きにわたって公共建築を仕事にしていた彼の肺は、粉塵にさらされ既にぼろぼろだった。
 祖父母ふたり暮らしのリビングに介護保険でベッドを借りたのは、夏のはじめのこと。座る姿勢を維持できなくなり、ようやく寝たままでの暮らしを彼自身が受けいれた結果だった。

 90歳を越えてもずっと明晰だった彼の記憶は、寝たきりになっても すぐには変わらない。家族の誰かを忘れることもなかったけれど、夜中を怖がるようになった。2時間おきに目が醒め、ベッドの下に布団を敷いて眠る祖母を呼ぶ。

 無理もない。それまでの何十年もの間、ダブルの布団でずっと枕を並べて眠ってきたのだから。息苦しく、生きているか死んでいるかもわからずに目覚める夜中、どんなに祖父は孤独だったことだろう。どんなに祖母は不安だったことだろう。

 

 お盆を過ぎた頃、彼はとうとうぶどうしか食べたがらなくなった。わたしの知っていた祖父の色は、すこしずつ薄まっていった。

「おじいちゃんの食べたいものを食べさせてあげようよ」と、叔母は毎朝、新鮮なぶどうを買いに出かけた。

 

 祖父母の顔を見に出かけた日。

 ベッドに横向きに横たわった祖父が、顔の前に置かれたお皿からぶどうをちぎって口に入れ、その皮をぽいぽいベッドの下へ捨てている。それに備えて、祖母は皮が落ちるあたりに新聞紙を敷いていた。

 毎朝が掃除から始まるほどのキレイ好きだった祖父のその行動は、わたしにとって衝撃だったけれど、こども達にとってはどうだったのだろう? 娘と姪っ子はベッド脇にぺたんと座り、「おじいちゃん、ぶどう美味しい?」と話しかけながら、ぶどうをちぎって渡したりしていた。小学生だった彼女たちなりに、感じる何かがあったのかもしれない。

 

 この頃は会いに行くたびに、帰りの車で「これで最後かもしれない」と涙ぐみながらハンドルを握っていた。こころのなかで、少しずつ祖父との別れの準備を進めていく。

 

 

 夜な夜な祖父に呼ばれる祖母の体力が、限界に達するかに思えた9月。すこし涼しくなってきた明け方に、彼は息を引きとった。94歳。となりに最愛の妻が眠る、静かなリビングでの旅立ちだった。

 

 白い布団のうえの彼は、とても久しぶりに見るブラウンのヘリンボーンのスーツを着て、すっとまっすぐに眠っている。こどもの頃見上げていた、おしゃれでかっこいい祖父の姿を思い出して、涙がにじむ。

 

 葬儀を終えて荼毘だびに付すあいだ、火葬場の待合室では祖父のなつかしい思い出話に花が咲き、誰もが笑顔だった。おだやかでサービス精神旺盛でもてなすことが大好きだった祖父だからこその時間だった。

 

 放送で呼ばれて部屋にはいる。運ばれてきた祖父のお骨のかたわらに立つと、頬が焼けるように熱い。顔だけが火照っている。スタッフの説明の順に、彼を形づくっていた骨をのぞきこむ。祖父の骨は、とても大きくて太く、そして白かった。

 うながされるまま従妹と箸で骨をもちあげ、白くてちいさな骨壷に移す。そっと入れた瞬間、金属のような、かるくて澄んだ音がした。

 

 

 毎年、ぶどうを食べると思い出す。祖父の最期のあの日々を。

 形見分けのとき「わたしは後でいいよ」と言ったら、あの時計はなくなっていた。きっと従弟かだれかが持っていったのだろう。大切にしてくれていたら、いいな。

 彼がすこぶる気に入って、はじめてわたしにねだってくれたあの時計。傷だらけになった今もなお、わたしの Big Tic は時を刻みつづけている。

 

 

 

 

ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!