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わたし達の紡いだ言葉は、読んだ誰かにきっと届く。


 恋しいなって思う。
 集まって語り明かしたり、ビールとウーロン茶で乾杯したり、「昭和しばり」だの「ユーミンしばり」だの「90年代しばり」だので歌いまくったりする、日常を彩るちょっと楽しい時間が。

 息苦しくなる。
 仕事もプライベートもネットに閉じこめられる日々を1年以上も泳ぎながら、どうにかこうにか息つぎをして前に進んでいる。ちょっとミスったら、溺れる。そんな果てしない海を泳いでいるのかもしれない。

 ふと会いたくなる。
 ともにテーブルを囲んで、他愛ない話に笑いころげながら、ゆっくり食事をしたくなる。密だからこそ楽しいのだ。密だからこそ盛り上がるのだ。でも、口元にマスク、手指にはアルコール。常識とアクリル板にさえぎられて、次の一歩を踏み出せない。

 叫びたくなる。
 終わりの見えない閉塞感と、希望と失望の止まらないゆりかごに、ただ、叫びたくなる。今しかない!今こそが大切なのに!と感じる瞬間がある。要と急、それぞれの境目はどこにあるのだろう。

 

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 つらいのは人と会えないことだけではない。すこしだけ起伏の多い人生の、やるせなさに打ちひしがれることだってある。
 仕事と人生と感染症の不条理に飲み込まれそうなとき、わたしには心がけていることがある。

 

 それは、自分で自分を癒すこと。

 

 いくら疲れていても、どれだけ打ちひしがれていても、誰かが助けてくれるとは限らない。むしろ誰かが手を差し伸べてくれるなんて、はなから期待しないほうがいい。

 疲れきった自分自身をそっと抱きしめ、とんとんする。
 よくがんばったね。大変だったね。それでも、ちゃんと帰ってきた。おつかれちゃん。いいこいいこ。

 おばあちゃんに背中をとんとんされたように、仲間に肩をぽんぽんされたように、愛する人に頭をなでなでされたように、自分の手のひらで自分を癒す。ただそれだけで、すこしだけ呼吸しやすくなるから。

 

 この自分自身によるケアリングプロセスには、実にハートフルな名前がある。

セルフぽんぽんのすゝめ (2)

 聴いただけで緊張がゆるむようなこの響き、実はわたしの言葉ではない。
 長崎県波佐見町在住、Hasami Lifeで波佐見焼と波佐見町の魅力を発信しているライター、くりたまきさんの言葉だ。

■Hasami Life

 くりたまきさんを知ったのは、2020年5月のこの記事だった。

■長崎県、波佐見町に移住します。

 転職を機に、長崎県波佐見町への移住を決めたくりたさん。人生の大きな転換点を綴ったその記事を、わたしはワクワクしながら読んだ。実際に移住してからは、棚を作ったり運転免許を取ったりしながら慣れない田舎暮らしを進んでいくさまを、日々見つめてきた。

 読みはじめた翌月、この記事でわたしは「セルフぽんぽん」なる言葉に出会う。

■大丈夫だよ、のセルフぽんぽん。

むかしは、ちいさいころは周りの大人がよくしてくれた、アレだ。手のひらで、軽く弾ませるように頭をさわる。撫でると言ってもいいかも。そのぽんぽん。

ちょっと癒しのための「手当て」にも似てる。

セルフぽんぽんに場所は決まっていないのだけれど、胸元をぽんぽんすることが多い。焦ったときとか、急に過去を思い出して苦しくなったときとか。

大丈夫だよ、とぽんぽんする。
いちばんの友だちにするみたいに。
大切なたからものにふれるように。

 

 そして、下の記事にコメントを入れたのをきっかけに、くりたさんから「セルフぽんぽんしてくださいね」って言葉をかけてもらうことになる。

■忘れちゃいけない気がしてただけ。

 

 セルフぽんぽん。
 いい言葉でしょう? 使えそうでしょ?

 今こそ、疲弊したオトナたちへ。

最近、セルフぽんぽんしてる?
ヘッドスパ、アロマテラピー、セルフぽんぽん。
えだまめビール、うわさのケーキ、セルフぽんぽん。
ねぇ、セルフぽんぽんしよう?

 心のチューンナップ。
 あなたも、セルフぽんぽんしてみませんか?


❅ ❅ ❅


 ここからは、セルフぽんぽんの結んでくれたご縁のお話。

 この「セルフぽんぽん」、ハートフルなだけでなく、実に便利。
 何といっても、たったの7文字で意味がすべて伝わるのだから。

 わたしはコメントのやりとりのなかで、この言葉を何度か使ったことがある。そして、書くたびに言われるのだ。
「セルフぽんぽんって、いい言葉ですね」って。
 だから、毎回「セルフぽんぽんは、くりたまきさんの言葉なんです」って説明する。もう、次からこうやって書こうかな。Copyrightを添えて。

セルフぽんぽんのすゝめ (5)

 

 春先に書いたこの記事のコメント欄。
 残業に「もう、限界です!」とつぶやいた あこはるかさんがいた。わたしは、「セルフぽんぽんしてあげてくださいね。わたしもします!」とお返事して、お決まりの流れに、思いつきで元記事のURLを添えた。 

 あこはるかさんは、そのURLからからくりたまきさんの記事に飛び、くりたまきさんは初めて「セルフぽんぽん」のひとり歩きを知って、そして・・・こんなうれしいことが起きた。

「セルフぽんぽん」という言葉の循環。

■過去の自分が誰かを癒やすこともあるんだ。

■器の一枚 2

 

 初めてくりたまきさんの記事にコメントを入れたとき、プロのライターさんのnoteにこんなコメント入れていいんだろうか?って、とても緊張した。

 あこはるかさんが、くりたまきさんの記事にコメントを入れたときだって、きっとドキドキしたんだろうと思う。

 わたし達のちいさな勇気のつらなりが、こんなふうに実をむすんだのが、こころの底からうれしかった。

■気持ちが誰かに届いていることを実感するうれしさ。

水野うたさんがnoteでわたしの言葉を見つけてくれて、あこはるかさんにその言葉を伝えてくれて。しかもここまで想いを持ってもらえることは、ひとりでnoteを書いてるときには予想もできない、うれしいギフトをもらったなあと思っています。

 

 わたしたちの紡いだ言葉は、読んだ誰かにきっと届く。届いている。
 キャッチボールは、誰がはじめてもいいはずだ。

 過去の思いを、今の気持ちを、答えの出ない何かを、noteに書いてみる。
 誰かのnoteを読んで、勇気を出してコメント欄で話しかけてみる。
 その一歩から、キャッチボールがはじまって、たしかに誰かに届くのだ。

 セルフぽんぽんとキャッチボール、あなたもはじめてみませんか?

羽根

 拝啓 あんこぼーろさんが、また面白そうなことを考えているようです。

■コメントしたいけど、できない。

コメントのハードルって、どうやったら下がるんだろうね?



 

==2021.6.10.追記=====

苧環さんが140字自由詩にしてくださいました。
句読点のないこのうた。なにも区切らず、なににも区切られない。緩やかに伝わりました。こういうつながり、うれしいです。
苧環さん、ありがとうございます!

==2021.6.11.追記=====

くりたまきさんが、このことを再び記事にしてくださいました。
言葉の“しあわせな循環”。つながっていることに改めて気づくと、こころの奥にぽっと灯りがともる気持ちになりますね。
くりたまきさん、ありがとうございます!


ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!