"選択"と"後悔":私の考え事 page.3
今日の考え事:選択と後悔
私はただ呆然と何かについて考えてみるのが好きだ。
とはいえ、普段は何かを作り上げるための思考に集中してしまって、これから書くような曖昧なことを考えることは、実はあまり多くない。
だから、3年以上もこのシリーズの続編を出すのに、時間がかかってしまったのだが、友人・知人のおかげで再熱である。(とか言っておきながら、単発で終わるかもしれないが)
前置きが長くなってしまった。今日は"選択"と、ちょっとだけ"後悔"についても考えてみる。
選択と後悔
これが、今回の私の問いである。
問いの意図を説明するのなら、「選択しなかったから得られなかったもの」に気を取られすぎて、「選択したからこそ得られたもの」に意識がいっていないのではないか、ということだ。
うん。まぁそうだよね。
という言葉が返ってきそうである。そう、それだけのことだから、あっけなく思ってしまった人は回れ右してもらいたい。
私はこのことがとても重要であると思っている。
最善の選択
ところで、自分にとって最も良い選択をしようと思ったら、どうするのだろうと考えてみる。
私の場合、「現時点の私が思う、最も後悔しないだろう選択」こそ、最善の選択だと考えている。
つまり「現時点の私が考え付かなかった良し悪し」は後悔すべき内容ではない。
仮に、後悔する結末になったとしても、「選択した時点の私が考慮できないこと」は考えても仕方ないと思うからである。
だってそうでしょう?
未来の自分が結末を知って、過去に戻ってきたとしても、その間の記憶がなければ、やはり現在の私の思う最善を取るしか、しょうがない。
もし、選択のタイミングで、選択の結果に関する未来の記憶があるのであれば、それはつまり「選択して得られた何か」を失うことなく、過去の選択をやり直して、「もうひとつの選択で得られる何か」の両方を得る行為だ。
そんなことはあり得ないし、あってはならないことだし、それはすでに一方を選ぶ「選択」という行為ですらない。
選択して得られたもの
ここで、私は重要な言葉を取り上げた。
「選択して得られた何か」は、選択しなかったら得られなかったものだ。
「ああすればよかった」という言葉が口をついて出たとき、得られたものについて考えているだろうか。
なかなか考えている人は多くないのではなかろうか。
例えば、「いいなぁ。私もあれを買っておけばよかったなぁ」という言葉。
自分が買うか買わないか悩み、結果買わなかったものについて、誰かが買う選択をしていた。それを見て、感想を聞いて、買っておけばよかったと後悔した。
このときの商品が5,000円くらいだったとして。
買わない選択をした自分は、それを買わなかったために5,000円を別のことに使えたはずである。
それで何かいい思いをしているはずである。
買う買わない、という選択はいい例だ。
何かを買うかどうか迷ったとき、同等の価値の何かが買えなくなるのだと考えて、それでも買いたいかどうか悩んでみる。
最後に
選択とは、そういうものだ。と、私は思っている。
みんなの思う選択とは、どういうものだろうか。
何か、普段しているものを、なんとなく深ぼってみると、世界って面白いなぁと思う。
書きながら、自分の言っていることに整合性はとれているのだろうかと不安になってくるけれども、やっぱりこういった思考は楽しい。
また、思いついた頃に何か別のことも取り上げよう。
すぐになるか、また時間が空くかわからないけれど。
さよなら、私。ありがとう、私。