尊敬していた人は、誰だったのか……

私を見た時、知っている皆さんはどう思うのだろう?

衣食住には不自由はありませんでしたが、当初育った家は、母曰く、家賃数千円だったとかで(笑)。

とにかくお金がなくて、これはたぶん私しか覚えてないんじゃないかな。車で母を待っている時に、父がコーヒーを兄に買いに行かせたことがあったんです。

しばらく兄は車に戻ってきませんでした。遅いなぁと気になりながら待ってると、兄が泣いてるんですね。
「中学生のお兄ちゃんにお金をとられた」と。
父はさすがに責めませんでした。自分だけのコーヒーを買いに行かせた後ろめたさもあったとは思います。

私が小学校低学年ぐらいの話で、兄の話が本当だったと思っていたんですけれど、成人してから、その話をすると、実際には違うんだそうです。

自販機の下に100円玉がコロコロと転がってしまって、取れなくなってしまったんだそう。そのまま本当のことを言えば、怒られると分かっていた兄は、とっさに嘘を思いついたんだそうです。

たった100円、されど100円。

兄が公立大学に受かった時、父と母同様、私も誇らしかったんですよ。自慢の兄でした。

塾に行かなくても学校の教科書で十分だと、後輩あてに綴っていたのも覚えてる。

今は能力の差があることを、私自身がよく分かっていて、あの頃の兄は、ちょっとムカつかれてた?
分からないんですけど(笑)。

兄は親が求めるまま、高校からアルバイトをして稼ぎ、ほとんど生活費に入れていたんです。私の場合は、新しいメガネが欲しいという理由から、バイトを認めてもらいました。

学生の頃は、私のほうがたぶんお金は持っていたと思います。高校生の時は、月1万円くらいしか入れてなかったし、シフトもいっぱい入れて貰えてましたし。

兄のほうが、バイト先で理不尽な目に遭ったり……

学費が足りないと分かっていたので、私は兄にお金を貸しました。きっちり返してくれて、そのまま家の生活費に入れました。

兄は大学卒業後、当初はアルバイト職員でしたが、試験に受かり、正職員となり、母が仕事をやめることになった際、お金のことでどちらかともなく、話しをしたことがあったんですね。

お金のことで話をしたのは、現段階で最初で最後だったかも?

その頃私は、3万円くらい入れてたんですけど、兄は確か15万円〜18万円くらいで。兄に対抗しようと思ったわけでもなく、私は5万入れるね、と言った気がします。

結局のところ、7万〜8万円入れました。

その頃すでに派遣社員で、交通費は自分持ちでしたが、周りと比べれば、田舎の実家暮らしで時給1100円とか、1300円とか、貰ってたんですね。

少しでも兄の負担を減らしたくて、父や母のためではなかったんです。

私は中途半端でした。兄みたいに優秀ではなくて、お金は親に渡していたんですけど、遅れがちで催促されるようになり、毎月8万円を入れていた時期に、派遣社員だし日数も少ないことがあって、今月1万円少ないから!と、私自身ちょっと物言いも悪かったとは思います。

なんで1万円少ないの!?と怒鳴られて、こうなることを、実は私分かってたんですが、出て行きなさいと言わせました。

その前にも3ヶ月くらい一人暮らししてたこともあったり、その時兄に言われました。家を出たら俺はお前のこと知らんからなって。正直、父や母の怒号よりも、兄の言葉が一番ショックでしたね。

私は親の引いたレールではなく、自分の人生を生きたくて……

母に愛情あるの?とかメールしたこともあったけど、返答は「分からない」でした。

母は実の母に育てて貰えてなくて、代わりに育ててくれたおばあちゃんも、実は両親が離婚していて、母親に引き取られたものの、ほとんど放置状態だったそう。一度、父親の家を探し当て、そこに住まわせてもらおうと思ったみたいでしたが、結局、居場所がなかったみたいで……

心配して追いかけてくれたのは、お手伝いさんだったとか。

愛情を知らない家族で育ったからこそ、私もお母さんのことを理解することができなくて。

とても複雑なんです。

最近は、結婚した弟妹のこともよく分からないんです。ちょっと気になることもあったりして、でも聞けてもなくて……

誰かひとりの責任にして貰いたくもなくて。
私自身も。

私が知っている家族のことを文章に残すことにしました。

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