コミュニケーションがとれるとか、とれないとか……
この言葉の表現が嫌いなんです。
何度も泣かされてきた言葉だから。
コミュニケーションがとれるとか、とれないとか、表現方法としても、不適切だとも思っています。
コミュニケーションとは、目配せでもジェスターでもいい、もちろん手話でもいい。
とれないと決めつけてしまうのは相手であり、何らかの手段でとろうとしてくれればいいわけで……
なぜ、わざわざこの言葉の表現を使うの?
大抵は、言葉の会話ができる人を探していて、言葉に自信がない人を、最初から弾くためというか……
結局、人は喋ってくれる人が好き。
なので自信がなくとも、堂々と応募すれば良いと思います!
つまづくことはあるかな。
電話のサポートをしていた時、全くコミュニケーションがとれてないと言われ……
2ヶ月くらい目の時。その人は、こうも言ってました。「説明能力がない」と。たぶん私の場合は、緘黙でもなくて、後者の表現が正しいと思っています。
説明事項としては、あることをして頂かないと、契約ができないと言うものでした。判断は営業さんになるため、営業さんにご相談下さいというもの。
難しいんですよね。
その頃の私自身が、なんで?って思っていることを人に言わなきゃいけなかったので。(今は裏事情とか、もとい、たぶんあの頃もちゃんと分かってたかな……)。
だから歯切れの悪い回答になってしまって、フィードバックがあったみたいです。
その日、私は絶望感でいっぱいになりました。
本当はできないと思っていた仕事に就くことができて、毎日が楽しかったから。
何だろ。閉ざされていた道が開けたみたいな……
私、やめたほうがいいのかな?とか、迷惑なのかな?とか、いないほうがいいのかな?とか、色々考えました。
結論は、そこでは辞めませんでした。
最終的には会社が判断することであり、私が決めることでもないし……
言った方は、まあ、人によって対応が違う人で、私以外にも、冷たい対応の子はいました。
ふとした時に聞いたことがあります。
あの人、実は学歴とか気にする。俺も最初は冷たくあしらわれたとか。でも○○大学卒業(国立大)だって分かったから、その後普通に話してくれるようになったんだそう。→この方は説明能力はあり、ただ言葉がちょっと詰まる感じがあった人。
あ、そうなんだと。
ちなみに頭良い人の中にも実はいる。親の知り合いの元警察OBの方がおんなじような(吃音)症状がある。
ご本人もおっしゃってる。
生まれつき言葉が不器用な人。
話は戻りまして、その頃、一人100本以上は電話をとってたから、そのまま居座って…….忙しかったから、向こうもそれ以上何も言ってこなくて。
そこは業務委託で、急病の方がいて、他拠点に1週間ほど遠征に行ったこともあったりで、派遣会社よりも派遣先の企業さんのほうが関係性は良かったかも?
リーマンに入る前ぐらいに電話の数が極端に減ってきた時に辞めましたが(その後、拠点閉鎖)してしまいましたが、今では楽しかった思い出です。
あ。このお話は過去のブログには書いてませんが、(触れたことはあったかな?)ブログのプロットは全部こんな感じ。最初は何の整理もしていなくて、かなり読みづらいものになっている自覚はあります。
ちなみにリハビリしていた時の、療法士さんのコミュニケーション力の採点は、5点満点中5点でした!
(評価する人にもよるんだなぁ)
削除したブログは、何回も見直して、自身で校正していたりします。暇じゃないとなかなか難しいですね(笑)。
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