連載日本史105 諸産業の発展(1)
室町時代には、さまざまな産業の発展が見られた。まず農業では耕地を最大限に活用する集約型の農耕が定着し、米と麦の二毛作や米・麦・蕎麦の三毛作などが出現した。稲の品種改良も進み、早稲(わせ)・中稲(なかて)・晩稲(おくて)などのように、収穫時期をずらした栽培が可能となった。畑作の野菜も多様化し、茶・木綿・藍・桑などの商品作物の栽培も広まった。
牛馬を使った耕作や水車を使った用水確保、草木灰・刈敷・下肥などの肥料も普及した。これらの技術により、単位面積あたりの収量は増加し、生産力の向上は農民たちの自立を促した。惣村の形成や土一揆の増加は、農民たちが集団としての力量を強めた結果であったと言える。
手工業の発達に伴い、各地の特産物が多様化したのも、この時期の特徴である。絹織物では畿内の京・丹後、北陸の加賀・越前、北関東の常陸・足利・桐生、中国地方の山口など、養蚕の普及に従って全国各地に産地が広がる。綿織物では三河・備後、麻織物では近江・奈良・宇治・越中・信濃というように、各地の特性と素材を生かしたさまざまな織物業が発展した。
製紙業では美濃・但馬・杉原(播磨)・奈良・飛騨のほか、越前の鳥の子紙、讃岐・備中の檀紙など、個性的な和紙が各地で生まれている。河内・大和・筑前・能登では鍋・釜・鍬などの鋳物、山城・備前・美濃・越中・相模では刀剣というように、金属加工の発達もめざましい。酒造では河内・大和・摂津・筑前、製油では大山崎の胡麻油、製陶では尾張の瀬戸焼、備前の伊部焼、河内の楠葉焼などの特産品が生まれた。製塩技術も発達し、海水を汲み上げて乾燥させる揚浜塩田や、潮の干満を利用した入浜塩田が各地にみられた。山椒大夫の伝説で、人買いに売られた安寿が従事したのも揚浜の潮汲みである。
こうしてみると、室町時代はやはり政治二流・経済一流の時代だったのだと改めて思う。政府が地方創生などという掛け声をかけずとも、おのずから地場産業を中心とした地方文化創出が実現されていたのだから。むしろ中央政権の迷走と混乱が結果的に地方経済の活性化を促したという側面もあるかもしれない。英雄不在の室町時代は、各地に無数の匠(たくみ)を生んだ時代でもあったのだ。