インド史⑯<最終回> ~21世紀のインド~
1998年の総選挙でヒンドゥー至上主義を唱えるインド人民党(BJP)が勝利し、国民会議派は独立以来初めて政権を失った。インド人民党は核武装を公約しており、選挙後ただちに核実験に踏み切った。もともとインドは他の大国が核兵器を保有していることから核拡散防止条約(NPT)や包括的核実験禁止条約(CTBT)に反対して加盟を拒否していたが、この時点で核兵器の保有を公式に宣言したわけだ。これに対して危機感を抱いた隣国パキスタンも核実験を強行。翌年にはインドの実効支配地域にパキスタンが侵攻し、一気に核戦争の危険性が高まった。米国の仲介で停戦が成立したものの、その後も双方の対立は続いた。
インド人民党は国内でもムスリム排斥運動を展開。2002年にはアフマダーバード(アーメダバード)でヒンドゥー至上主義者によるムスリム襲撃事件が起こり、1000人もの犠牲者が出るなどの宗教対立による悲劇が相次いだ。コミュナリズムを煽ることで支持を得た政権は長続きせず、2004年の総選挙でインド人民党は敗北し、国民会議派が再び与党となる。だが世界中でテロの相次いだ2000年代、インドでも2008年にムンバイ(ボンベイ)で同時多発テロが発生。実行犯がパキスタンのイスラム過激派であったことから両国の関係は一層悪化した。
2014年の総選挙でインド人民党は再び政権の座に返り咲いた。新たな党首となったモディのもと、反ムスリム色を薄め、経済成長優先の政策を掲げて支持を得たのである。就任当時のモディ首相はパキスタンのシャリーフ首相と首脳会談を行い、両国の融和に努めたが、次第に従来のヒンドゥー至上主義へと回帰し始めた。2019年にはジャム・カシミール州の自治権を剥奪して政府直轄地とする方針を表明。カシミール地域の領有を主張するパキスタンは当然ながら反発し、融和ムードは霧散して対立は更に深刻化した。
政治・外交面での緊張はありながらも、インド経済は20世紀末から21世紀にかけて飛躍的に成長した。特にインドの経済成長を牽引したのはIT産業である。伝統的に理数系に強い人材が豊富であったことに加えて準公用語としての英語でのコミュニケーション力がグローバル化する国際市場で役立った。また、米国IT産業の中心地であるシリコンバレーと昼夜逆転する時差を生かして双方の企業間の連携を強化。中国を抜いて世界一となった人口14億人以上の国内市場もまだまだ開拓の余地があり、IT産業を核としたインドの経済成長は今後も続きそうだ。ただし、根強く残るカースト差別やコミュナリズム、貧富の格差や環境問題など、依然として未解決の課題は数多い。
一方、パキスタンでは、安全保障上の問題から親米色を強め、イスラム教を奉じながらも国内のイスラム原理主義者に対しては厳しい姿勢で臨むようになった。2001年の米国同時テロ以降、厳しくなったムスリムへの視線に対し同じイスラム教でもテロを起こす原理主義者たちとは一線を画す姿勢を明確にしようとしたのである。だが隣国アフガニスタンのイスラム原理主義勢力であるタリバンと国内の原理主義者が呼応し、北部のアフガニスタン国境地域は実質的にタリバンの活動拠点となった。2012年には同地域で女子教育の必要性を主張した14歳の少女マララ・ユスフザイがタリバンの銃撃を受けて瀕死の重傷を負うという事件が発生。狂信的な原理主義の偏狭な攻撃性が明らかになった。彼女は幸い一命をとりとめ、後に史上最年少のノーベル平和賞を受賞して感動的なスピーチを行うのだが、パキスタンでは多くの人々が受賞を歓迎する中で、これをイスラムの価値観に対する西欧的な価値観の文化的侵略だととらえる人々もいるそうだ。一口にムスリムと言っても穏健な平和主義者から伝統主義者、さらに過激な原理主義者に至るまで、その様相はさまざまである。それはヒンドゥー教徒やキリスト教徒とて変わらない。
東パキスタンが独立したバングラディシュでは、1990年代に民主化の声が高まり、軍事政権から共和制に移行したが、ここでもイスラム過激派の暗躍があり、2016年には首都ダッカで発生したテロによって日本人7名を含む20名以上が死亡する悲劇が起こった。急激な人口増加に悩むバングラディシュは日本の約4割の面積の国土に1億4千万人以上が暮らす世界有数の人口過密地域であり、貧困層の拡大が深刻な社会問題となっている。加えて隣国ミャンマーからのロヒンギャ難民問題もあり不安定な政治経済状況が続いている。
インド・パキスタン・バングラディシュにスリランカ・ネパール・ブータンを加えた南アジア文化圏は、膨大な人口と豊富な自然環境を擁し、大きな潜在可能性を秘めている。また、ウパニシャッド哲学・ヨガ・仏教・ヒンドゥー教・シク教など、東洋哲学・宗教の発祥の地として、その文化的発信力も健在だ。歴史の長い分だけ、そこに残るさまざまな矛盾も一筋縄で解決できそうにないものが多いが、人口規模の大きさひとつとっても、今後の世界において南アジアの存在感が更に増していくのは間違いないだろう。
インド独立運動の精神的支柱であったマハトマ・ガンジーは座右の書としてヒンドゥー教の聖典である「バガヴァッド・ギーター」を生涯手放さなかったという。彼の運動の中核をなす非暴力の哲学にもインドにおける伝統的な不殺生(アヒンサー)の思想が色濃く反映されている。残念ながら彼の哲学が現在のインドや周辺諸国の政治に十分反映されているとは言い難いが、その精神的伝統は見えない形で継承されていると信じたい。それは今後のインドのみならず、世界全体に共有されるべき共存への英知だと思うのである。
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