石垣りんと戦後民主主義④
戦後民主主義を代表する政治思想家であり、りんと同世代に属する丸山眞男の著書「日本の思想」の中に、「である」ことと「する」ことの相克に言及した記述がある。その一部を抜粋してみよう。
<日本の近代の「宿命的」な混乱は、一方で「する」価値が猛烈な勢いで浸透しながら、他方では強靭に「である」価値が根を張り、その上、「する」をたてまえとする組織が、しばしば「である」社会のモラルによってセメント化されてきたところに発しているわけなのです。>
(丸山眞男『「である」ことと「する」こと』)
「である」価値と「する」価値、すなわち旧来の「家」に象徴される固定化された価値観と近代的な「個」に表象される流動化を志向する価値観の相克は、どこの世界でも近代化の過程で見られる現象ではあるが、その変化の速度が急激であった戦後の日本社会では、相克の激しさもひとしおであった。その中で、あえて「個」としての自己を貫こうとする意志は、第二詩集の表題作にも力強く表れている。逆に言えば、その宣言が力強く響くのは、そこに至るまでの相克の激しさゆえであるとも思われるのだ。
殿も/様も/付いてはいけない
自分の住む場所には
自分の手で表札をかけるに限る
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん/それでよい。
(「表札」)
戦後民主主義が高らかに謳った「個」の自立は、「家」の桎梏と対置されてこそ明確な輪郭を持ち得るものであった。マクロな社会システムのレベルからミクロの家庭生活のレベルに至るまで、さまざまな相克と折り合いをつけながら、(時にはそれらの相克を梃子としながら、)戦後民主主義は日本社会に根を下ろしてきた。そして、それらの相克が折り合いをつける場所こそが、戦後民主主義を特徴づける第三のキーワードである「生活」の場だったのである。
食わずには生きてゆけない。
メシを/野菜を/肉を
空気を/光を/水を
親を/きょうだいを/師を/金もこころも
食わずには生きてこれなかった。
ふくれた腹をかかえ/口をぬぐえば
台所に散らばっている/にんじんのしっぽ
鳥の骨/父のはらわた/四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
(「くらし」)
「食わずには生きていけない」というフレーズが切実なリアリティを持つ時代においては「生活」こそが数多の相克を止揚する。どんな矛盾があろうが「にんじんのしっぽ」であろうが「父のはらわた」であろうが「食わずには生きていけない」のだ。その半ば開き直った諦念にも近いテーゼが、戦後民主主義の大前提となっていた。それを体感していたからこそ「生活」の象徴としての「鍋とお釜と燃える火」を、りんは自らの第一詩集のタイトルに選んだのではなかろうか。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても/おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく
全部が/人間のために供せられるように
全部が愛情の対象であって励むように。
(「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」)
現代のジェンダー的見地からは批判の対象になりそうな表現ではあるが、ここで大切なのは性別分業の是非などではなく、「政治や経済や文学」が「お芋や肉」と同列に置かれていることなのだ。それは戦中から敗戦直後にかけての食糧難の時代をリアルタイムで生き抜き、飢餓というものを自らの身体記憶に刻み込んだ戦後民主主義第一世代に共通する感覚だったのではなかろうか。
大正デモクラシーが関東大震災から昭和恐慌と東北大凶作を経て荒廃した日本経済を背景に瓦解し、その後にファシズムが台頭したように、あるいは当時最も民主的だと評されたワイマール憲法下のドイツで、世界恐慌以来の大失業時代を背景にナチスが台頭したように、経済が立ちゆかなければ民主主義はいともたやすく崩壊する。身をもってそれを体感した世代が、「生活」を民主主義の大前提に置いたのは当然の帰結であったと言えよう。
<つづく>