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連載日本史279 東日本大震災と原発事故 

2011年3月11日、東北地方一帯を激しい揺れが襲った。東日本大震災である。震源地は宮城県沖、地震規模はマグニチュード9.0、最大震度7、観測史上最大の巨大地震であった。地震に伴う津波によって、東北地方の太平洋側沿岸部は壊滅的な被害を受けた。また、液状化現象や地盤沈下、ダムの決壊などで、東北のみならず、北海道から関東南部に至るまで広範囲における被害が発生し、各種インフラが寸断された。死者・行方不明者18,000人以上、建築物の全壊・半壊は合わせて40万戸以上、ピーク時の避難者は40万人以上、停電世帯800万戸以上、断水世帯180万戸以上。沿岸の農地・漁港・工場などは地震と津波で甚大な被害を受け経済損失額は約20兆円に及び、世界銀行の推計では自然災害による経済損失額としては史上最悪の数値となった。

震災に伴う津波で陸に乗り上げた大型船(www.sankei.comより)

東日本大震災の被害を更に悪化させ、長期化させたのは福島第一原発での事故である。震災に伴う津波のために全電源喪失状態に陥った原子炉は冷却不能となり、炉心溶融(メルトダウン)と水素爆発の連鎖反応によって、大量の放射性物質が漏れ出した。事故後7年を経ても汚染水の流出は止まらず、汚染水封じ込めのために莫大な費用をかけて建設された凍土壁も完全には凍らず、メルトダウンの際に溶け落ちた燃料の塊(デブリ)も回収どころか場所の特定もできていないという、八方ふさがりの状況に陥っている。

福島第一原発の原子炉爆発事故(環境省HPより)

東日本大震災は、その被害の大きさもさることながら、震災被害の影響が長引き、復興が進まず、震災後7年を経た2018年現在も7万人以上の避難者が自宅に戻れていないという点に大きな特徴がある。その原因が原発事故にあることは明らかである。にもかかわらず、日本政府は震災後も原発を主要電源として位置づけ、震災後に停止した各地の原発の再稼働を推進しようとしている。そこには、原発を巡る社会構造の根深い問題がある。

2023年1月時点の原発の現状(news.yahoo.jpより)

巨大化した科学技術は社会構造の在り方に大きな影響を及ぼすのが常ではあるが、特に原発は現代社会の構造的な歪みを大きく反映しているようだ。たとえば、原発労働は究極の3K(きつい・汚い・危険な)仕事であるが、そのほとんどは発注先から三次、四次にわたる下請けに回され、その過程で中間搾取、いわゆるピンハネが横行しているという。実際に現場で作業にあたるのは期間雇用でかき集められてきた非正規労働者たちであり、放射線被曝による健康被害が現れても、原発労働との因果関係を立証するのが個人の力では難しいため、泣き寝入りすることが多いのが現状である。劣悪な労働環境と隠蔽体質に象徴される労働市場の闇が、原発労働に集約されていると言えよう。

被曝労働者数の推移と非正規労働者の割合(「原子力市民年鑑2022」より)

原発は地域格差の問題とも深く関わっている。巨大な危険施設である原発は人口の密集する都心部には建設できず、過疎地に建設される場合がほとんどである。その際、原発を受け入れた自治体に対して、巨額の交付金が支給される。2016年現在、その総額は年間1,700億円以上に膨らみ、財源の不足が指摘されている。無論、財源は国民の税金である。また、原発の建設に伴って、地元には雇用の増加や関連企業の誘致などの「経済効果」も生まれる。過疎に悩む地方自治体が原発立地に活路を見出そうとする気持ちは理解できないわけではないが、それは事故の危険性や核廃棄物処理の問題に目をつぶった、短期的・一時的な経済効果に過ぎない。原発誘致を積極的に行った自治体が、廃棄物処理場の建設も併せて受け入れたなどという例は聞いたことがない。「トイレのないマンション」を作るだけ作っておいて、「トイレ」の場所は押しつけ合うばかりでいつまでも決まらず、その間にも汚染物は確実に増え続けていく。原発に依存した地域経済は、将来の健康を犠牲にして刹那の快楽に身を委ねる薬物依存のようなものなのだ。

たまり続ける核のゴミ(www.greenpeace.orgより)

「原子力ムラ」という言葉がある。年間数兆円とも言われる原発がらみの巨大な利権に群がる、産・官・学の関係者集団を指す言葉である。(比喩としては、あまり良い表現ではないが)「ムラ(村)」と揶揄されるのは、それが閉鎖的な利益共同体であり、その内部に意志決定の主体を持たない集団的無責任体質を持つからであるという。誰も責任を取らないまま、大事故の教訓はうやむやにされ、将来の破綻が確実に見えているのに、誤りを認める勇気もなく、短期的な利益に固執して、既定の路線をひたすら進もうとする、肥大化しすぎた科学技術経済産業複合体の抱える矛盾の象徴が原発であるとも言える。そしてそれは、「ムラ」の住民だけの問題ではなく、我々の社会全体を覆う問題でもあるのだ。


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