連載 洋楽今昔① Let It Be と Let It Go
新連載を始めます。20世紀と21世紀の洋楽の歌詞を比較しながら時代の変化について考える「洋楽今昔」。初回はビートルズの名曲「Let It Be」(1970)と、ディズニー映画「アナと雪の女王」の主題歌として大ヒットした「Let It Go」(2014)を比べてみたいと思います。
Let It Be
When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, Let it be
私が苦難の中にいる時
聖母が現れて救いの言葉をささやく
ありのままに
And in my hours of darkness
She is standing right in front of me
Speaking words of wisdom, Let it be
暗闇の中でも彼女は
私の前に立って救いの言葉をささやいてくれる
ありのままに
Let it be, Let it be, Let it be, Let it be
Whisper words of wisdom, Let it be
ありのままに ありのままに
そっと唱えよう 叡智の言葉 ありのままに
Let It Go
The snow grows white on the mountain tonight
Not a footprint to be seen
A kingdom of isolation and it looks like I'm the queen
The wind is howling like this swirling storm inside
Coudn't keep it in, Heaven knows I tried
今夜 雪が山に白く降り積もり 足跡さえ見えない
隔絶の王国では私は女王みたい
風がうなる 内に吹きすさぶ嵐のように
もう抑えきれない 耐えてきたのよ 神様も知ってる
Don't let them in, Don't let them see
Be the good girl you always have to be
Conceal, Don't feel, Don't let them know
Well now they know
誰も入れちゃダメ 誰にも見せちゃダメ
いつも良い子でいなきゃダメ
隠しなさい 感情さえも 気づかれちゃダメ
でも もう みんなわかってしまった
Let it go, Let it go, Can't hold it back anymore
Let it go, Let it go, Turn away and slam the door
I don't care what they're going to say
Let the storm rage on
The cold never bothered me anyway
ありのままに ありのままに もう戻れない
ありのままに ありのままに 振り向いてドアを閉じて
気にしない 誰が何と言おうと
嵐よ 吹くがいい 少しも寒くないわ
ふたつの歌詞を並べてみると、同じ「ありのままに」でも、随分と雰囲気が違うのが感じられますね。Let it be が全てをありのままに受け入れようとする一種の諦観を醸し出しているのに対して、Let it go は抑圧に抗いながら過去を振り捨てて自己に忠実に生きていこうとする決意がみなぎっているように思えます。そしてこの2曲のイメージの違いは、 be と go のニュアンスの違いに集約されているような気がするのです。
戦後日本の思想界をリードした故・丸山真男氏は、国語の教科書でお馴染みの評論「『である』ことと『する』こと」において「近代化とは『である』論理・価値から『する』論理・価値への相対的な重心の移動である」と看破しています。Be から Do への価値観の劇的な転換が、旧来の固定観念や封建的制度を打破し、個の覚醒と社会集団の活性化を促し、近代化への原動力を生み出したのだと――。
もちろん彼は近代化を無条件で賛美しているわけではありません。『する』価値が重視されるべき局面に『である』価値がしぶとく根を張る非近代的状況は批判されるべきだが、一方で『である』価値が尊重されるべき局面に『する』価値がとめどなく侵入する過近代的状況にも注意すべきだと警鐘を鳴らしているのです。存在価値が全て行為価値に置き替わってしまったならば、それはそれで生き辛い社会になるであろうことは、競争の激化する現代社会で精神を病む人々が増えているという現状からもうかがわれます。
Let it be から Let it go へ。半世紀近くの歳月を経た be から go への変化は、時代の重心が『である』価値から『する』価値へと更に移動しつつあることを示唆しているのではないでしょうか。僕自身は、どちらかといえば『する』価値重視の人間なので、そうした変化を前向きに捉えているのですが、丸山氏の言うように、過近代化のリスクも心のどこかに留めておきたいと思っています。
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