
連載日本史139 幕政の安定(5)
江戸時代には農業以外の産業も発展した。漁業では九十九里浜などの地曳網による鰯(いわし)漁や松前の鰊(にしん)漁、土佐などの一本釣りによる鰹(かつお)漁など、各地の特色ある漁法が発達した。鰯は食用のほか、干鰯や〆粕に加工され、即効性の高い肥料として重宝された。また、蝦夷地の特産である昆布や俵物(いりこ・あわび・ふかひれ)は、中華料理の食材として、長崎貿易の主要な輸出品となった。

紀伊・土佐・肥前・長門では、銛や網を駆使した捕鯨が行われ、食肉だけでなく、鯨油も灯明や殺虫剤の原料として広く活用された。当時は他国でも捕鯨が行われていたが、日本の捕鯨はとりわけ無駄が少なく、獲れた鯨を隅々まで有効活用していたと言える。昨今、自然保護の観点から捕鯨の全面禁止を求める声が高いが、遠洋捕鯨はともかく、近海での捕鯨は持続可能な漁獲制限を施した上で、伝統文化としても認められるべきだろう。

製塩では、播州赤穂・讃岐坂出・下総行徳などに、潮の干満を利用した入浜塩田が作られた。林業では、木曽の檜(ひのき)、秋田・飛騨・吉野・熊野の杉、摂津池田・紀伊備長の製炭などが有名である。鉱業では、佐渡・越後・伊豆・甲斐の金山、石見大森・但馬生野の銀山、下野足尾・伊予別子の銅山などが、安定した産出で貿易を支えた。室町時代に朝鮮から伝えられた精錬技術である灰吹法の効果もあって、十六世紀には世界の銀の流通量の三分の一を日本産の銀が占めていたといわれる。当時の採掘・精錬の跡が残る石見銀山は、世界遺産にも指定されている。製鉄では、足踏みのふいご(たたら)を使った「たたら精錬」が陸奥釜石・出雲松江などで行われ、日本刀の材料にもなった。

織物では、絹を素材にした西陣織・桐生織・丹後縮緬(ちりめん)・上田紬(つむぎ)・結城紬などや、木綿を素材にした久留米絣(かすり)・有松絞(しぼり)・尾張木綿・真岡晒(さらし)など、麻を素材とした小千谷縮(ちぢみ)・越後縮・近江麻・薩摩上布など、多彩な特産品が生まれた。高機(はた)や地機と呼ばれる織機の普及も、農村家内工業としての織物業の発展を後押しした。製紙業では、越前の奉書紙や讃岐の檀紙、播磨の杉原紙などの高級紙のほか、美濃・土佐・駿河などでも広く日用紙が生産された。窯業では清水・瀬戸・備前などの陶器や有田・九谷の磁器、醸造業では伏見・伊丹・池田・灘などの酒造や野田・銚子・竜野の醤油などが有名である。

こうした特産品の産地を地図上で見ると日本各地にくまなく散らばっていることがわかる。日本全国、地場産業の華麗なモザイク模様ができあがっているのだ。江戸時代は地方が元気な地場産業全盛時代だったのである。