連載中国史38 元(4)
14世紀半ばになると、元朝では帝位を巡る争いから宮廷内の内紛が絶えなくなった。また、チベット仏教(ラマ教)への過度の出費から財政難に陥った政府は交鈔(紙幣)を濫発し、急激なインフレを招いた。さらに冷害や黄河の氾濫などの自然災害が続き、社会不安が一気に広がったのである。
宋代の交子・会子の流れをひく交鈔の普及は貨幣経済の浸透に寄与し、帝国の経済規模を一気に拡大した。しかしながら、鋳造量に自ずから限界がある銅貨などの金属貨幣とは異なり、紙幣は供給量にブレーキがかかりにくい。もちろん供給量の拡大が容易であるからこそ経済の発展に役立つわけだが、それはハイパーインフレの危険を孕んだ諸刃の剣でもある。事実、元朝末期にはそのリスクが顕在化した。自然災害の頻発という不運もあったが、元の衰退の最大の原因は、紙幣濫発の誘惑に抗しきれなかった経済政策の破綻であると言えよう。
財政難や不景気に陥った政財界が、貨幣供給を増やすことで事態を打開しようという誘惑に駆られるのは理解できる。だがそれは、一時的かつ少量の投与ならば対症療法として有効だが、慢性的に使用すると中毒を起こして命を落とす劇薬のようなものだ。その怖さは現代にも通じるものだろう。
1351年、混迷する元朝治下において、白蓮教徒などの宗教結社を中心とした農民反乱が起こる。反乱軍は紅色の頭巾を目印につけたので、紅巾の乱と呼ばれた。乱は15年にわたって続き、その中から頭角を現した朱元璋が1368年に明を建国。元はモンゴル高原へと撤退を余儀なくされ、ここに百年近くにわたって続いたモンゴルの中国支配は終わりを告げたのであった。