連載中国史59 中華人民共和国(4)
天安門事件の後、鄧小平の意を受けた江沢民が党総書記に就任。1993年には国家主席となり、鄧小平体制後の最高実力者の地位を引き継いだ。民主化運動を力で抑え込んだ中国政府は、その過ちを認めず、共産党一党独裁を正当化するために、教育の場で党の歴史的功績を称える愛国教育を推進した。そこでは過去の日本が行った侵略行為がクローズアップされた。すなわち国内の不満を逸らすために、外に目を向けさせる教育が行われたのである。
経済面においては江沢民は鄧小平の改革・開放政策を受け継ぎ、社会主義市場経済を基本方針とした。1990年から2004年にかけて、中国は年平均10%の驚異的な高度経済成長を達成。産業科学技術の発展と安価な労働力の供給によって、中国は「世界の工場」として国際貿易における重要な地位を占めるようになった。軍備の拡張も急速に進み、21世紀初頭には、中国は米国に次ぐ経済大国・軍事大国となったのである。
一方、台湾では蒋介石と息子の蒋経石の死後、初の台湾出身の総統となった李登輝のもとで民主化が進み、中国とは異なる体制での経済発展が実現していた。また、19世紀末から百年の期限でイギリスの租借地となっていた香港も、自由主義的な政治体制の下で大きく経済発展を遂げていた。1997年、租借期限を迎えた香港は中国に返還されたが、中国政府による強権支配を警戒する香港に対して、中国は一国二制度を提唱して懐柔を図った。一方、台湾に対しても、「ひとつの中国」を標榜する立場から、一国二制度をちらつかせながら自らの支配下に組み入れようとする動きを続けた。しかし、香港にせよ、台湾にせよ、中国の強権支配に対する警戒は緩むことはなかった。中国がひたすら隠蔽しようとしたにもかかわらず、いやむしろ隠蔽しようとすればするほど、天安門事件に象徴される人権抑圧大国への不信感は募っていったのである。
2003年には胡錦濤、2013年には習近平が国家主席に就任し、江沢民の敷いた軍事大国路線を継承・強化していった。2000年代には日本の閣僚の靖國神社参拝に端を発した反日運動が激化した。江沢民時代に推進された「愛国」教育による反日感情の影響もあっただろう。尖閣諸島を巡る領土問題もあり、日中間の外交関係に緊張が走る事態が増えた。一方で経済面では日中両国はグローバル経済の進展に伴って急速に連携を強め、貿易のパートナーとして不可分の関係を作り上げた。今や日本国内で中国産の商品を見かけない店はないほどに、中国製品は日本市場に入り込んでいる。中国の富裕層による日本企業や不動産への投資も急増しているし、中国観光客の日本における「爆買い」もニュースを賑わせた。政治と経済のギャップは、日中関係においても顕著に現れているのだ。
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