見出し画像

バルカン半島史⑫ ~ギリシャ文化~

古代ギリシャ文化の華は哲学だけではない。前8世紀から前6世紀に至るアルカイック期には、ホメロスの「イリアス」や「オデッセイ」、ヘシオドスの「労働と日々」などの叙事詩が生まれ、ポリスの守護神を祀る神殿を中心に建築や彫刻が発展した。続く前5世紀から前4世紀末にかけての古典期では、民主政の成熟を背景に、自由な市民による多彩な文化が花開いた。

演劇が盛んであったアテネでは、三代悲劇詩人と呼ばれたアイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスや喜劇作家のアリストファネスらが活躍した。酒と演劇の神であるディオニソス(英語名:バッカス)に捧げる年に一度のディオニソス祭は、スポーツの祭典であるオリンピックに比肩する古代世界最大の演劇祭であった。父を殺して母と交わるという運命を描いたソフォクレスの代表的悲劇である「オイディプス王」は、後世の心理学者フロイトによる「エディプス・コンプレックス」の語源にもなったし、アリストファネスの代表的喜劇である「女の平和」は、当時参政権のなかった女性の視点から戦争を批判した鋭い風刺劇になっている。

ギリシャ文化における演劇の発展の背景には、個性的な神々が活躍するギリシャ神話の豊潤なイメージがある。オリンポスの山に集う好色の主神ゼウス(ジュピター)と嫉妬深い妻のヘラ(ジュノー)、彼らの娘でアテネの守護神でもある知恵の女神アテナ(ミネルヴァ)、太陽神アポロン(アポロ)と月の女神アルテミス(ダイアナ)、美の女神アフロディテ(ヴィーナス)、軍神アレス(マーズ)、海神ポセイドン(ネプチューン)、風神ヘルメス(マーキュリー)、冥王ハデス(プルートー)などなど、個性的なキャラの神々のオンパレードだ。ギリシャ神話の神々はどこまでも人間臭く、彼らの紡ぎだす悲喜劇の数々は愛憎入り乱れた連続ドラマのようだ。多神教の伝統下、こうした土壌があったからこそ多彩な演劇文化が花開いたのであろう。

神々を祀る神殿を中心に、建築や彫刻も発展した。荘厳なドーリア式、優雅なイオニア式、華麗なコリント式と評される多様な建築様式の支柱を駆使して建てられた各地の神殿は、各々のポリスの精神的支柱でもあった。とりわけ、アテネのアクロポリスの丘に、ペリクレスの命によってフェイディアスが指揮をとって建立されたパルテノン神殿は、その列柱の荘厳な美を現代に遺し、世界遺産にも指定されている。

神話から離れて現実の人間の歴史を直視しようとする動きも起こった。ペルシア戦争の時代を物語風に描いたヘロドトスの「歴史」やペロポネソス戦争の時代を客観的に叙述した「戦史」は、当時を知る史料としても一級品である。前述のギリシャ哲学はもちろんのこと、数学のピタゴラス、医学のヒポクラテス、女流抒情詩人のサッフォーなど、さまざまな分野の草分け的存在を輩出したギリシャ古典期の文化は、まさにヨーロッパ思想の源流と呼ぶにふさわしい。それらは中世キリスト教支配の下で一時は忘れ去られたもののルネサンス期に再生し、それが全世界を巻き込んだ近代の幕開けへとつながっていく。すなわち古代ギリシャ文化は、ヨーロッパ文明の源流であると同時に、全世界に及ぶ近現代文明の源流のひとつだと言えるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?