ローマ・イタリア史⑤ ~内乱の一世紀~
ポエニ戦争とマケドニア戦争の勝利によって陸海の両面にわたって領土を広げたローマは、版図拡大に伴うラティフンディア(大土地所有制)の浸透とそれによる経済格差拡大によって、都市国家時代以来の共和政の内実を大きく変質させた。共和政を支えてきた中産市民階級が富裕な新貴族・騎士階級と土地や財産を失った無産市民とに二極分化し、都市の下層民と化した無産市民たちは食料と娯楽、すなわち「パンとサーカス」を与えてくれる有力者を求めるようになったのである。
前2世紀の後半に護民官となったグラックス兄弟は、こうしたローマ共和政の内部崩壊を憂えて改革に着手した。まず兄のティベリウス=グラックスが大土地所有を制限し、土地を再配分して自作農を創出する「農地改革」を実施しようとした。改革の内容自体はそれなりに支持されたのだが、そのやり方が少々強引であったために周囲の反発を受け、ティベリウスは議場で撲殺される。次いで護民官となった弟のガイウス=グラックスは、兄の遺志を受け継いで更に改革を進めようとしたが、やはり強い反発を受け、事態は武力闘争にまで及んだ。最終的にはガイウスも自死に追い込まれる。ローマは既に顔の見える市民同士が議論を交わし合って意思決定を行う都市国家の段階を終え、従来の共和政では統治しきれないスケールの国家へと、不可逆的な変貌を遂げていたのだ。
グラックス兄弟の改革の失敗を受けて、次世代の改革に取り組んだのがマリウスだった。現実主義者の彼は、共和政ローマの変質を所与のものとして、さしあたっての問題である無産市民への雇用創出を実現すべく、兵制改革に取り組んだのだ。すなわち仕事と財産のない失業者たちを軍隊へと吸収し、拡大したローマ本土と属州を守る大規模な傭兵部隊を再編成したのである。
「戦争は最大の失業対策である」という言葉がある。マリウスの改革は失業対策としては劇的な効果を生んだが、その副作用として、軍事予算の膨張と各地の軍を統率する将軍たちの勢力拡大を助長した。やがてそれは有力な将軍たちの覇権争いへとつながっていく。前2世紀後半から前1世紀後半に至る時代が「内乱の一世紀」と呼ばれる所以である。マリウス自身は戦争を望んだわけではなかっただろうが、軍備の増強が結果的に内乱の時代を生み出したことは否めない。雇用や経済浮揚の特効薬としての軍備増強は、為政者にとって時に魅力的な選択肢に見えるかもしれないが、それ自体が戦争を引き起こす蓋然性を持った劇薬でもあることを、肝に銘じておく必要があろう。