連載中国史8 戦国時代(1)
戦国の世の発端となった中国中央部の韓・魏・趙の三国に、東北の燕、山東の斉、南方の楚、西方の秦を加えた七国を「戦国の七雄」と呼ぶ。紀元前四世紀から三世紀にかけて、中国統一をかけた覇権争いが本格化した。中でも一歩抜きん出たのは、法治主義をいち早く取り入れ、中央集権型の行政組織を整えた秦である。
紀元前359年、秦の孝公は法家思想の先駆者である商鞅(しょうおう)を登用し、厳格な法に基づく政治改革を断行した。商鞅は郡県制を敷き、秦王を頂点としたピラミッド型の行政組織を整備した。現代でいう官僚制のハシリである。法を基盤とした階層組織(ヒエラルキー)による統治の利点は、指揮命令系統の明確化であるが、それが有効に機能するためには文字と度量衡の統一が不可欠であった。伝達手段や計量単位が統一されていなければ、トップダウンの指示が末端にまでスムーズに行き渡らないからだ。かくして、秦は他国に先駆けて文字と度量衡、さらには貨幣制度の統一に取り組むことになる。
もちろん他の国々も、さまざまな富国強兵策を講じていた。そのための人材争奪合戦は熾烈であり、有能な人材は国境を越えてリクルートされた。斉の孟嘗君は多くの食客(居候)を抱え、彼らの活躍で窮地を脱した話が「鶏鳴狗盗」という故事に見える。役に立たないように見えても、潜在的な能力を持った人材をどれだけ抱え込めるかが上に立つ者の度量とされたのである。戦国時代中期、孟嘗君のもとで、斉は秦と並ぶ強国となった。