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現実には「ひょん」なことはないのだからー死にたいって誰かに話したかった

彼女が動き始めるところを、もう一度読みたくなって手に取った。

友だちも恋人もいない三十代の女性 奈月(なつき)は、人に不快な思いをさせないように気をつけているのに空回りしてしまう。絶望的なほど「空気が読めない」のだ。生きづらい気持ちを誰かと共有したくて(でもそういう相手が一人もいないから)「生きづらさを克服しようの会」を立ち上げる。

わたしが読みたかったのは、まさにこの会を立ち上げたところ。
奈月は自分でメンバー募集のチラシをつくり、連絡先には自分のスマホの番号を書いたものを職場である病院に置く。
(職場に勝手にチラシを置くのはいいのか? とは思うけど。そうしてしまうところが奈月っぽい)
彼女は自分で動くのだ。

漫画も映画もドラマも全部、誰かが誰かと助け合ったり、誰かが誰かを救い出したりする話ばかり。出会いはみんな”ひょん”なこと。その”ひょん”はどこにある。どこにもないじゃないか。悲しくなるから、奈月はもう何も見なくなってしまった。

『死にたいって誰かに話したかった』 南 綾子

そうなのだ。
特にスポーツ系のマンガに多いのが、主人公も気づいていない才能を見つけてくれるパターン。
たまたま投げたボールに光るものを見つけるとか、バネの強さを見いだされるとか。
たいてい、主人公は乗り気じゃないのに強引に巻き込まれて、やがてそのスポーツのおもしろさに目覚めて本気で打ち込むようになっていく。

スポーツ以外にも、急にメイクをされて自分の魅力に気づくとか、むりやり旅行に誘われて物語が動き出すというパターンもある。転校生がきっかけになることも多い。
物語の進行上、主人公を動かし巻き込んでいくキャラクターが必要なのだろう。

でも、やがて気づく。
現実にはそんな人はいない。

ここが印象に残っているのは、わたしも強引な誰かを待っていたからだ。
自分でも気づいていないわたしの才能を見いだして、わたしが必要だと言ってくれて、わたしを何者かにしてくれる人。
わたしはなにが好きなのか、なにが得意なのかわからない時期が長くあった。勉強もスポーツも平均的にできたからこそ、ほかを捨てて一つを極めるということができなかった。

奈月が思うとおり、わたしもそんな”ひょん”な出会いはなかった。
変わったのは自分で動いた分だけだった。
奈月は「生きづらさを克服しようの会」のために自分で動き出した。だから物語が展開していくのがいい。

冒頭のところを読むつもりだったけど、「あれ、こんな話でした?」って思いのほか内容を忘れてたので、また読み直している。

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