魔法をかける
『プリズン・サークル』(坂上香)を読んだ。
受刑者同士が対話を通して感情を取り戻し、
自分を受け入れ、そして変わっていく、
その様をありのままに描いたノンフィクションだ。
かなりずしっときた。
加害者たちは往々にして被害者たちだったから。
多くが、家庭の問題で苦しみ愛を与えられなかった人たちだ。
ある人は「親に触れられた記憶がない」と語る。
だから誰かに抱きしめられたいと思ってしまう、と。
想像もできないような暗い世界は、確かにそこにあるのだ。
そんなとき、お昼寝させようと寝かしつけていた息子がふいに、
「ママ、幸せにするからね」とにっこりしながら囁いてくれた。
これは私が息子にいつもかけてる魔法で
「あなたのこと幸せにするからね」と毎日声をかけるようにしている、その真似っこなのだ。
息子は、幸せの意味もたぶんわかってない。
でも、大好きな人に大好き!の気持ちをこめて伝える素敵な言葉だということだけ、わかっている。
息子という木に注ぐ言葉はこうやって枝葉になっていくのだと実感した。
同時に、『プリズン・サークル』に出てくる受刑者たちにこんな言葉をかけてくれている人が一人でもいれば、
もしかしたら未来は変わっていて、もしかしたら被害者が一人でも減っていたかもしれない。
あぁそうだったら良かったのに、と思った。
日本は厳罰思想を強めていると思う。
罰することの快感は人々を少しずつ狂わせている。
犯罪歴のある某芸人が声をあげたとき、
「被害者の気持ちを考えたのか」という方向性の批判がとても多かった。
でも、違うのだ。
加害者も、被害者なのである。
それをまずは考えないことには、加害者をケアしないことには、未来の被害者を減らせないのだ。
対話の拒否は、新たな孤立を、新たな犯罪を生む。
それが今、あまりに軽視されている。
希望を抱くこと、自分を認めること、人に愛されること。
それを他人から奪える権利は誰にもないのだ。
幸せにするからね。
この言葉をいつか息子が、愛する人に伝える日が来てほしい。
そのとき私のことを思い出したりしなくていいけど、
なんだか息子の心があったまって、
そしてその隣にいる方が幸せな気持ちになってくれたら、
もうこれ以上望むことはない、と思った。
魔法をかけつづける。
抱きしめさせてくれる間は、毎日伝える。
あなたの幸せを全力で祈っている。