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central station

「子どもを堕ろしたことがあるの。とても、とても、つらかった」
と、目を潤ませ、声を震わせながら、告白されたことがある。
終電間際の駅のホーム、喧騒のさなか、唐突だった。

驚いた。
そして、(なぜ、いまここで、しかも、わたしに話すのだろう)と、戸惑った。
けれども、できる限り平静に、「そうなの」と受けとめた。

「彼は、お金を出してくれたし、病院にもついてきてくれた。帰り道は、二人とも黙りこんで、その時間はひたすら長くて、でも、あっという間で。好きだったけれど、それきりになった。二人とも学生だったから、そうせざるをえなかった」

うなだれる彼女の背を、そっと抱くしか、できなかった。
そうしながら、そのまま、開いた電車の扉へ背を押した。
「気をつけて」
彼女は、小さく頷き、閉まった扉の向こう、かろうじての小さな笑顔で、小さく手を振っていた。

主要駅のホームの真ん中、彼女を乗せた電車が走り去ったのち、わたしは、呆然と立ち尽くした。
何を、どう思えばよいのか。
わからなかった。

今夜は、同じ電車に乗って、一晩中彼女の背をさすりつづけるほうが、良かったのかもしれないと、しばらくしてから気づき、悔いた。
彼女が、何十年も一人で抱えてきたことを、打ち明けてくれたのだから。

自分の至らなさと冷たさに苦しくなって、そのとき初めて、しかと痛みを引き受けた、と思った。
そして、それは、痛みではあったけれど、なんというのか、不思議なのだけれど、光でもあった。

しかし、彼女の告白を受けてから、しばらくは、わたしには、どこか、彼女を許せないような思いがあった。

それもこれも、ずいぶん前のことだ。
若さゆえか、懐が小さく浅かった、と思う。
いまは、許せないとか、彼女を責めるような思いは、一切ない。
そもそも、わたし自身の怒りでもない。

いまも、むかしも、これからも、是非も問わない。



彼女に……
もし彼女が聴いてくれるならだけれど……
話したいと思っている。

自分を許してね。
大丈夫。
その子なら、全くあなたを恨んではいないよ。
わたしと一緒に生きているよ、と。
生まれる準備ができたら、また、生まれるよ。

いや、なんだかね。
そういうことが、あるんだね。
転生。
もう、そうなんだから、そうなんだよ。

彼女が、わたしを選んで告白したのは、そういうことだったのだ、と思っている。
いや、むしろ、わたしが選んだのかもしれない。



わたしもこれまで、あらゆるかなしみを孕み、産んできたと思う。
わたしを基点につながり、つらなる、かなしみがある。
いとおしさがある、光がある。

かなしみに痛むのではない。
痛みがかなしみを享けるのだ。

かなしみを引き受ける魂がある。
その魂が、わたしのなかにも息づいている。

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