マゼンタコスモス
さびしい、むなしい、重苦しい。
そのときのわたしには、世界は、色のないモノクロームに見えていた。
よどみ、けがれ、乱れ、荒れるものばかりが、目に映っていた。
いつか、先生が話していた。
「つらいときほど、鮮やかな夢をみる」と。
しかし、夢をみることもない日々だった。
細切れに眠り、寝汗をかき、不快に目覚めた。
夢をみた気もするけれど、夢なのか何なのか、暗く閉ざされ、閉じこめられるような閉塞感ばかりを感じていた。
けれども、そのうち、夢をみたのだ。
鮮やかに色づく夢を。
ある朝、陽の光の眩しさに、目が覚めた。
まぶたは重く、閉じたまま居た。
まぶたのうらに、赤色がみえた。
赤い血が透けて見えているのだろう、と気にもとめなかった。
むしろ、そのときには、目覚めてしまったことに、うんざりしていた。
やがて、まぶたのうらの赤色は、みるみるうちに明るさを増し、鮮やかに耀きはじめた。
なんだ?なんだ?と驚くうちに、赤色は薄っすらと青みを帯び、瞬く間にマゼンタ色に変わった。
その色は、鮮やかに明るく透きとおっていた。
マゼンタ色は、ものの色ではなく、光の色だと、そのとき思った。
目は閉じたままだったけれど、閉じながらも開いているようだった。
鮮やかなマゼンタが、みえていたから。
わたしは、その色を、たしかにみていた。
みていながら、その色に包まれ、じぶんもその色、そのものになっていた。
また、そのときに、ふと、「この色は、愛の色」という思いがよぎった。
と、同時に、涙があふれ、こぼれていた。
(振り返ると、ここまでが夢だったと思う。でも、よくわからない。夢とうつつを、分けられない。どちらにせよ、真実ではある。
前夜、わたしは、バルコニーで夜風に当たりながら、いつの間にか眠っていたのだった。)
浄福の悦びに、目を開くと、光に満ちた世界が開示された。
色とりどりの色が迫るように、眼のなかに流れこんできた。
東の空は朝やけの紅色。
天頂は白んだ淡い空色。
樹木は金色と影色に耀き、そよぐ。
鳥の声が響き、湿り気のある清々しい空気のにおいもする。
眼が涙でにじむから、光の一つひとつが、十字に、光の穂をのばして光っていた。
「あぁ、ここにも、ここにこそ、済いも、そのしるしもあったのだ」と思った。
世界は美しい。なんて美しいのか。
そう、思った。
わたしは、もはや、この世界を、モノクロームの、病む闇であるとは見られない。
ひとたびみれば、眼は美を映す。
光に目が眩むのでもない。
光は照らす。
つまびらかに、あきらかに、あらわす。
闇をあばくでもない。
闇も、闇として、ひとしく照らす。
公然の秘密の、一切の開示。
目を瞑ると、いつでも、まなうらには、あのマゼンタがみえる。
わたしも、そのマゼンタであり、光であり、愛であるcosmos。