千手
彼はわたしに、そっと、じっと触れた。彼もわたしもハッと息をつめ、そのまましばらく、その息をひそめていた。彼の掌の熱を感じた。
ふと、このひとになら伐られてもいい、と思った。そのとき彼は小さく言った。その “声” は、音か思いかはわからなかったけれど、伝わってきた。「君の生命をいただく、よいものを彫るよ」
刃を向けられても痛みはなかった。覚悟のような直観があったからかもしれない。体中の紅色が鮮やかに意識へ昇り、やがて染め尽くすと、その紅は次第に暗転した。わたしは眠りへ落ちてゆくように、生命をなくした。
∞
わたしは若い桜の木だった。山裾にひっそりと佇み、雪の残るなかで、花の時季を一心に待っていた。春には枝の腕いっぱいに満開の花をひらかせるのだ、と内心ひそかに意気込み、うっとりと夢みていた。
あの日、風のいたずらか、空のはからいか、晴れた淡い青空に、どうしてか小雪が舞って見紛えたのだ、無数に舞う花びらと。あれは最期の夢だった。
しんとした静寂のなか、ざっくざっくと雪を踏みしめ、斧を携えた彼が現れたとき、わたしは恐れから身震いした。けれども、彼がわたしに触れてきたときに、なぜか身を糺されるような思いにもなったのだ。緊迫と敬虔の思いの両方が、静謐のなかに同時に存在する、不可思議な瞬間だった。
彼は木彫の彫師だった。一人、工房にこもり、如来や菩薩といった仏像を彫っていた。その仕事は、彼の生業であり、使命でもあり、天職だった。仏像は、彼自身の仏への帰依の思いから寺に奉納したり、寺から依頼されて納めることもあったようだ。
彼の腕は確かなものだった。寄せられる信頼も厚かったにちがいない。
彼は華美な装飾に凝ることなく、衒いのない素直な線を彫った。彫るのは小ぶりな仏像ばかりだった。
わたしは伐られて彼の工房にやってきて、しばらくは彼の仕事ぶりをただ眺めることになった。彼は自ずと寡黙ではあったけれど、孤高というような厳格な雰囲気はなく、大らかなひとだった。仕事は繊細にして大胆、直向きで熱心な彫師だった。
そのとき彼が彫っていたのは、けやきの木だった。けやきとしかと向き合い、真剣にまなざす姿に、わたしは心惹かれた。身も心も射抜かれた、と言っていい。けやきに嫉妬さえした。
恋、だった。思えば、初めて触れてくれた日から、わたしは彼に恋をしていたのだ。
けやきの幹のなかから、 “こうでしかありえない” というような線が、彼ののみの跡から浮かび上がる。削られていくばかりのけやきから、形が生まれる。驚嘆と感嘆ばかりだった。惚れ惚れした。
彼とけやきをみているうちに、わたしは気づいた。彼は彼の思惑から彫り出すのではない、彼はけやき本来の本性を彫り出している、と。
つまり彼は、彼の彫りたい線を彫っているのではなく、けやきが彫られたがっている線を彫っていたのだ。けやき自身すら気づいていないけやきの本性を、彼は顕していた。実際、彼もけやきも、浮かび上がる姿、立ち上る形に毎瞬のように愕き、そして喜んでいた。探求と発見が繰り返された。真剣でありながら喜悦に満ちて、彼らは互いに求道者だった。外から眺めているわたしにとっても、胸のすくような、晴朗なひとときだった。
やがてけやきは、円やかな釈迦牟尼仏となって、全きものとして顕れた。施無畏印の右手はぽってりと大きく、与願印の左手は右手と同じように大きく厚い上に、前方へすうっと長く伸びていた。かんばせは、うっすらとした微笑み……見ようによっては福福とした微笑み……を浮かべていた。赤みを帯びた艶やかな木肌からは、生まれたての、ほくほくとした芳香が、漂いくるように思えた。
美しい。なんという美しさか、荘厳か。けやきは、浄福に安らっていた。もう、どこかはるか遠い遠くの、静けさのなかにいた。それなのに、わたしへ、その手を差し伸べてくれるようでもあった。仏、生きとし生ける者……衆生を済度する仏、だった。
美しい。彼の嘆息を言葉にするなら、美しいという語より他になかった。彼は、己の仕事に満足して自画自賛するというよりは、真にけやき、いや、釈迦牟尼仏を敬い、讃えていたのだった。彼はしばらく、けやきの釈迦牟尼仏の前に正座し、ひたすらに見ていた。わたしは、その彼ばかりを見ていた。彼は時折微笑むように見えた。無言のうちにも、お釈迦さまと対話していたのかもしれない。
∞
とうとうわたしにも、彼に彫られる日が来た。わたしからどんな姿、形が生まれるのか。期待もあったけれど、不安のほうが大きかった。
彼の腕を疑うことは微塵もなかった。信じていた。信じられないのは己であった。あのけやきほどの美しさが、わたしに存るとは思えなかったのだ。その暗い思いは、けやきが彫られているのをつぶさに観ているときから燻っていた。
悲しいことがあったのだ。わたしは引きずっていた。それは、彼の工房に来て早々のことだった。彫るのには当然なのだけれど、わたしは、つぼみの微かに兆し始めていた枝……つぼみはまだ固かったけれど……を、伐り落とされてしまった。
わたしはもう二度と花をつけることはない。わたしにはもう花がない。
改めて、なのだけれど、愕然とした。山で伐られて生命をうしない、工房で枝をなくして、初めて識った。わたしはこれほどまでに花ひらかせることを願っていたのか、と。己の思いの丈、その深さを識ったのだった。
己の思いの深さに対して、恥じるような思いもありつつ、いとおしさも感じた。
そして、花のないわたしなど何者か、何者でもない、とも思った。わたしが花であり、花がわたし、だったのだ。しかし、もはやない。これまで体験したことのない虚無感だった。
一つ、慰めであったのは、彼が伐り落とした細枝を水につけ、生かそうとしてくれたことだった。もはやわたしではないわたしだったものを、わたしは見た。山に居たときには、折れて落ちる枝……わたしから離れてゆくものに、これほどまでに情をかけることなど、なかったのに。
わたしは彼と向き合った。もはや花のない、枝もない、細い丸太になったわたしだ。このわたしから、なにが顕れるというのか。半ば絶望のような思いだった。彼に恋していたからかもしれない。真のわたしに失望されてしまうことも怖かった。
初めにのみを入れられたとき、少し痛みが走った。山で伐られたときには感じなかった痛みだった。閃くような、光のような、鋭い痛みが一瞬射した。しかしその一瞬だけだった。その後は、痛みなく光だけを感じた。わたしという闇を、瞬間貫くような、穿つような小さな光。それが日毎幾度も繰り返された。
彼はわたしを喰い入るように見つめながら、淡々と手を動かした。こんなにも至近距離で、誰かから真っ直ぐにまなざされることなど、これまでに一度もなかった。わたしはその視線に耐えきれなくなると、どぎまぎとしてしまい、息をひそめ、身を固く縮めた。自分でも知らず知らずのうちに強ばってもいた。すると伝わるのだろう、彼はすっと身を引いて、深呼吸して、わたしを見た。わたしも彼の眼を見た。
彼は、わたしではなく、わたしの奥の奥、わたしすら知らないわたしの深奥をみているのだ、みようとしてくれているのだと、そのときに、すとんとわかった。けやきのときと同じだ、と思い出した。
彼はわたしを見ていない、わたしのほんとうをみている。
淋しくもありつつ、ハッとして、ほっとした。わたしも呼吸をととのえるようにして、彼の眼前に身を糺した。
トントントン、コツコツコツ、スッスッスッ。乾いた音が、再びに、芳ばしいように響いた。わたしはその音に心地よさを覚えた。聴き惚れながら、も、澄みきるように醒めていた。わたしは彼にすべてを委ねると決めた。何度めの覚悟だったろう。伐られたときから、おそれと覚悟の繰り返しだった。何度も肚に決めたのではあったけれど、今度こそ肚に落ちた感覚だった。
彫られて削られてゆくたび、わたしは己への信頼を厚くした。わたしはわたし、という思いを深くし、その思いを深めた。思いはしんしんと深まっていった。理由はない。けれども心底感服していた。わたし、といえども、小我ではなく大我の意味でのわたしだ。小我を手放し、大我へと還ってゆくのを、平静に観じていた。
一方で、この期に及んでさえもなお手離れない、手放せない思いがあることにも気づいていた。それは、花を恋しがり、彼を恋する思いだった。花を、彼を、慕う思い……花を、彼を、ずっと恋していたい思い……手放したくない、とさえ思った。それほどまでに花への思いと、彼に恋する気もちは強かった。執念や執着にも近いものだった。
このままでは仏になれないと、わかっていた。わたしの恋は彼の仕事の妨げでもあった。それでも恋していた。どうしようもなかった。一日でも長く、まだ小さなわたしでいたい、彼といたい、恋していたい、と願いすらした。
彼は焦らなかった。わたしをじっと待っていた。待ちながらずっとわたしをみていた。わたしも彼を真っ直ぐにみていた。真摯で真剣な思いだった。
不意に互いに目線を外した、そのとき、花に気づいた。わたしから伐り落とされた小枝が、花をつけていたのだった。
薄紅の小さな花が、わたしたちに微笑みかけていた。
その瞬間、驚きと喜びが、立ち上るように湧き立ち、体中を瞬時に駆けめぐった。その奔流で、わたしの輪郭が押し拡げられるように感じた。どうして気づかなかったのだろう。わたし、なのに。
そして、わたしは光を識った。わたしの深奥から、純然たる、えもいわれぬ光が、煌々と射していた。決して減じることのない確かな光明。わたしは光だった。
生きて在ること、いのちの喜びと耀き。わたしの生命はとうに尽きていたのに、尽きぬものがあったのだ。
∞
それからというもの、わたしはなにも恐れなかった。彼の手は勢いづき、休みなく動いた。手は無心に動くようだった。
彼もわたしも嬉々としていた。わたしたちにはもう、なんの逡巡も隔絶もなかった。彼の手の動き……しんの心の動きが、すなわちわたしとなっていった。彫られゆくごとに、わたしは削られ、わたしとなった。それは、わたしがわたしへと還ることだった。
やがてわたしは、わたしがなくなるほどに、かなりの部分を彫られ、削がれていた。精妙な線が次々と顕れて、わたしの全体も次第に顕れつつあった。わたしは、彼の前腕ほどの立像だった。床には、彫られて木片になったわたしの欠片が、無数に散り落ちていた。彼はその木片を集めて麻布に包み、どこかへと運んでいった。枝を落とされたときのような嘆きや虚しさは、わたしにはもうなかった。
わたしはすっくと立っていた。揺るぎなく立っていた。
彼は、わたしのなかに、無数の腕と手を見出だしていた。わたし自身は、自分に腕と手が在ることには気づいてはいなかった。彼は、慎重に微細に、わたしの無数の腕と手を彫り顕してくれた。瞠目の、素晴らしい仕事ぶりだった。彼の高揚と充実感も、ひしひしと伝わってきていた。
わたしは、千手観音になろうとしていた。
細長いわたしの腕はまるでしなやかな枝のよう、わたしの五本の指はまるで軽やかな花びらのよう。それらが四方八方、千の方向に伸びていた。
彼は、わたしの腕と手を、一本一本丁寧に彫ってくれた。嬉しかった。この上なく嬉しかった。
わたしは咲いていた。あぁ、わたしは、再び花咲くことができたのだ、と震えるほどの喜びだった。
掌で咲きながら、その掌は、ひとつひとつがほころぶように微笑んでいた。
わたしの掌はひらき、そうしてすべてを受けていた。わたしの掌は、微笑みでありながら、手であり、眼であり、耳だった。観ていたし、聴いていた。悲しみ、苦しみ、喜び、星の光、月の光、日の光の、すべてに触れて、享けていた。
「済度する」
との声が、どこからか聴こえた。体中で聴いた。体中に響いた。
わたしはわたしとなり、仏となった。
∞
わたしの木肌も、けやきとはまた異なる赤みと艶めきを放っていた。甘い香りがした。すべてわたしの光の化身だった。
わたしを成した彼は、しばらくわたしの前で立ち尽くしていた。けやきの釈迦牟尼仏を彫りあげたときと同じ。彼から彼の心の熱が流れこんできた。万感の思いが、彼のなかで渦まき、脈打つように高まっていた。わたしはそのすべてを享けた上で、慈悲の思いを彼へかえした。感謝と祝福の思いも、然りである。
彼は、千手観音となったわたしを手放さなかった。わたしは寺へはゆかず、彼と、彼の仕事、工房とを護る本尊となった。かつての恋などを思えば、本望だったともいえる。
彼は、工房の一画を作り替え、わたしへのしつらえを始めていた。わたしの千手があらゆる異空間へ繊細に伸びていたから、必然のことだった。まつるというよりは、しつらえだった。わたしも、まつられることは望んでいなかった。ただ、傍に居たかった。
そんなある日、ひとりの若い女性が訪ねてきた。駆けてきたのだろう。彼女は上気した頬をして、少し息を切らしていた。彼女は、彼へ呼びかけると、大事そうに胸に抱えてきた包みを徐に解いて、捧げるように掲げた。そのとき、わたしはあまりの感動に胸を打たれた。
「わたしの色!」
それは、わたしの木片で染められた色……その絹糸で織られた裂だった。
まぎれもなく、わたしの色だった。
えもいわれぬ薄紅色、淡い桜色が、発光するかのようにきらめいていた。
なんて、なんて、美しいのか。なんという美しさか。
彼女の仕事も見事としか言いようがなく、讃えずにはいられなかった。忠心から、ありがたかった。
彼女はわなわなと震えていた。彼も息をのみ、眼をみはり、しばらく身動ぎ一つしなかった。
美は、人を黙させるのだ。美は、人を高揚させるのと同時に、鎮静させる。
彼は、我に返るように小さく息を吐くと、彼女の肩にやさしく触れて、彼女をそっと抱き寄せた。二人して涙していた。そして二人は、その潤んだ眼でわたしを観、わたしへと微笑んだ。わたしは微笑みをかえした。
彼らは、わたしの色の淡い薄紅色の裂を、わたしの足元に、敷物としてしつらえてくれた。色が匂い立つようだった。哀しくも哀しくはない、哀しくも華やかな、晴れやかな、花の雨のあとのようだった。
わたしにとって、わたしのいのちにとって、これほどの至福はあっただろうか。
千手の千寿。わたしの千の手から、千の寿ぎが、花のように咲み、降り、舞った。
荘厳と浄福の音が、わたしの千の掌から、響もした。