はやく月へかえりたい
真夜中にふと目が覚め、窓を開けると、ひんやりとした夜風と伴に、白銀の月の光が射しこんだ。
穹窿のてっぺんの円い月。
月は、なにも言わない。
けれども、あたりを円やかに照らしている。
なにかはわからないけれど、なにかを語りかけてくれているのだ、と思う。
高揚し、鎮静し、また眠る。
月は、みずから光らない。
けれども、夜を、世を、余を照らす。
月は、光の経由地だ。
わたしは、月へ、かえるのだ。
∞
東の空に昇りくる月。
その月が、大きく眩さを増して、こちらへと迫ってくる。
その圧倒的な光にのまれた、と思った瞬間、目が覚めた。
そして、ふと思った。
「はやく月へかえりたい」。
居たたまれないような、泣きそうな気もちになった。
じぶんの思いが、不可思議だった。
まばたきのひととき、わたしのなかの光が、光をみていた。
なにもない、すべてある、光。
わたしも、その光になっていた。
∞
明け方、いまにも地平線へ沈もうとする月を観た。
ふいに、宙に浮くような、ちがう天体に来たかのような感覚を覚えた。
「ほんとうのおとうさんとおかあさんは、別にいる」
という思いが過ぎり、じぶんの思いと気づきに、動揺し、うろたえた。
しかし、さらに続けて思い出したのだった。
「月から降りてきたのは、月を観てみたかったから」。
後々、絵本で読んだ『かぐや姫』の物語は、わたしのための物語と思った。
もちろん、これらのことは、父にも母にも、だれにも話したことはない。
∞
夕涼みに散歩へ出たら、上弦の月が見えた。
「おつきさまだね」
と、かたわらに声をかけると、キョトンとしている。
おなじ目線にしゃがむと、建物の屋根で見えなかった。
手をつないだまま後ずさると、「あ!」という声が上がった。
半円の月を見て、わが子は訊いた。
「おつきさま、はんぶん、どこいちゃったの」。
「どこへいっちゃったんだろうね」
と、こたえたけれど、隣では、わたしの声をさえぎるように、
「おつきさま、ついてくる!」と、はしゃいでいるひと、ひとり。
そう、どこまでもついてきて、いつでも見守っていてくれる。
わたしが月から来たことは、子にも夫にも、伝えていない。
はやく月へかえりたい思いは、いまだに、ずっと、つよく、ある。
でも、秘めている。
ここに居る理由は、たった一つ。
けれども、そのたった一つが、たった一つであるゆえに、わたしはいまここに居る。
∞
かぐや姫は、罪をおかしたために、月から降ろされたのだという。
また、月へかえるときには、地上の記憶をすべて失ったのだという。
わたしは、月に居たことも、ここから月を眺めたことも、忘れまい。
おそらくは、忘れることが罪で罰。
懐かしさは、みちゆきの、みちしるべ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?