傘と散華

大輪の花。
まさに大輪。

ひとの頭ほどの大きさの蕾が、少しずつ綻び、馥郁とした香りが漂い始めていた。
大切に育て、咲くのを楽しみにしていた。
いよいよ咲くのだ。
美しく咲くのだ。
心が高揚するのを感じていた。

ところが……
老いて呆けた母、車椅子の母が、いつの間にか、庭から、蕾を無造作に引っこ抜いてきていた。

それだけでも絶句したのだが、さらには母は、空気入れのようなもので、茎の口から空気を押し込むようにして、無理やり花を咲かせようとしていた。

「そんなことでは咲かない」
……はずなのだが、わたしの知識と予想を裏切り、花びらは、何倍速かというくらいの速さで、みるみるうちに開いた。

外側の花びらは、散り落ちそうなほどだった。
それは、爛れた皮膚が剥がれ落ちるように見えた。
また、傘が開くようにも見えた。
無惨だった。

花があまりに哀れで、咄嗟に叫んでいた。
悲鳴だった。
「おかあさん、やめて!」

暗澹たる、悲愴な想いだった。
同時に、「何をしてくれるんだ!」と、母に対して、猛烈に腹が立った。

しかし母は、空気を送るのをやめなかった。
ふいごで風を送り、火を絶やさぬかのように、花を咲かせよう、開かせようとして、やめなかった。

「花は生きているの。咲きたいときに咲くの。お願い、やめて」

「傘をささないと、雨に降られるでしょう?」

「花は傘じゃないよ」

「こんなに大きな花なら傘になるよ。そうじゃないと降られて死ぬよ」

「ならないよ!花は咲くもの!傘はさすもの!雨だって降っていない」

「でも、散華がもっと、もっと必要になるよ」

そう言った母の眼は鋭く、呆けた老婆の眼とは思えなかった。
ハッとした。
しかし、それも、ひとときのことだった。

その夜、ニュース速報で、地続きのどこかで爆撃があり、多くの命が失われたことを知った。

「傘と散華が必要だ」と言った母を責める気には、もう、ならなかった。

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